天才詩人こうやまあきらのブログ!

パワースポット巡り100ヶ所、野球観戦100試合、日本酒100銘柄の年間トリプル100を目指して

パワースポット(942)(943)超絶級・晩翠草堂と仙台ユネスコ会館跡地、日本近代詩発祥の地

 

パワースポット! 

パワースポ ッター!!
パワースポッテスト!!!
より強いパワースポットを求めて全国を旅します!

 

パワースポットとは何か?
ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・等、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。
このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、精一杯生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。
そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます!

 

 

青葉通りを歩いていたときです。

急に、頭が割れそうなほどの強い痛みに襲われました。痛みがくる先には古民家が建っていました。説明版には「荒城の月」の作詞者・土井晩翠の住居「晩翠草堂(ばんすいそうどう)」だと書かれています。パワースポットに行くと、こめかみ辺りに「キーン」とくる痛みが感じられます。ここはそのレベルをはるかに超えて「ミリ・ミリ・ミリ」と頭がしめつけられて割れるような痛みが感じられました。とてつもないパワースポットです。待ち合わせの時間までたっぷりあるので門をくぐってみました。

 

玄関に「建物内に管理人がいるので、内部を見たい場合は声をかけてください」と書かれていたので声をかけてみました。すると、管理人というよりも学芸員のような年配者が出てきて、晩翠の生涯を講義しましょうか?と言われました。喜んでお願いしたところ、30分以上かけて熱弁されました。初めて聞くことばかりで、ずっと目からウロコの状態でした。細かいところに間違いがあるかもしれませんが、聞かされた大事な部分を思い出してざっと書いてみると、こんな感じになります。

 

・晩翠といえば「荒城の月」の作詞で有名 ・東京音楽学校が募集した日本初となる中学校の音楽の教科書に晩翠の詞が採用される ・半年後、滝廉太郎が曲をつける(このときまだ二人は会っていない) ・晩翠の城のモデルは仙台青葉城会津鶴ヶ城、滝のモデルは大分岡城 ・晩翠はモデルになった城を敗戦後に新憲法が制定され新時代が始まるまで言わなかった ・なぜなら、当時は仙台と会津は逆賊扱いで明かせる風潮ではなかったため ・明かさない間に、大分で「荒城の月」というお菓子ができて商標登録される。なので仙台にはない。

・東大英文科の一学年先輩が夏目漱石 ・漱石はイギリス留学中に精神を患う ・後に留学した晩翠が先輩の面倒をみることになる ・晩翠がしゃべる英語は仙台なまりが強くて漱石に心配されていた ・病が進行した漱石に帰国命令がでる ・帰国中の船に医学者の志賀潔がいたため、病状が重病し志賀潔に看病されている、漱石はもう終わったというデマが流れる ・漱石は、帰国命令は英文科教授の地位を狙う晩翠の策略だと疑い、疑ったまま生涯を終える ・死後、漱石婦人の誤解がとけ晩翠と夫人は和解 ・漱石が帰国し、英文科教授として授業したところ前任者に比べて難しく、学生の評判は悪かった ・前任者はラフかディオ・カーン ・教え子だった藤村操が華厳の滝で自殺、若者の自殺ブームがおきる ・漱石は退官し、朝日新聞で「吾輩は猫である」を書いたところ大ヒット、小説家に転身 ・晩翠の本業は英文学者で詩は趣味

 

とまあ、こんな感じでした。改めて書きますが、細かいところはかなりウロ覚えです。管理人さんの語りが達者で本当に面白く聞かされました。ぜひ、みなさんも体験してみてください。

なかでも、わたしの心に最も残ったのは島崎藤村とのからみでした。藤村といえば、詩集「若菜集」が有名です。これは知っていました。それまで文語体で書かれていた詩を口語体で書いた最初の詩集で、文学史上ではこの詩集によって日本近代詩が始まったとされています。これも知ってました。二番目に書かれた詩集が晩翠の「天地有情」なのだそうです。これは知りませんでした。で、ここから驚く逸話なのですが、藤村は長野出身のイメージが強いので、若菜集が書かれたのは当然長野だと思っている人が多いと。ところが、一年間だけ仙台に住んでいたことがあって、若菜集はその滞在中に書かれたものだそうです。つまり、わが国の近代詩の幕開けになった二作は同じ仙台に住んでいたご近所さん同士によって成し遂げられたものだったわけです(この逸話に地元民の管理人さんも得意そうでした)。晩翠は、近くに住む同じ志をもつ藤村の噂を聞きつけ会ったそうです。残念ながら、お互い良い印象を持てなかったとか。ま、両雄並び立たずというか、そういうものでしょう。

 

裏は空地になっていて「仙台ユネスコ会館跡地」の説明版が建っていました。知人のユネスコ関係者のために晩翠が土地を貸したとかナントカ説明を受けました。(このあたりのくだりは完全にウロ覚えです)。この土地から発せられる痛みも凄くて、キリ!キリ!キリ!と鋭角に突き刺してきます。その痛みは晩翠草堂を凌ぐかもしれません。

パワースポット(942)「晩翠草堂と仙台ユネスコ会館跡地」

ここに宿る晩翠の魂なのか?

そこにユネスコ関係者の魂が加わったものなのか?

土地から発せられるものなのか?

はたまた、三者が合体したものなのか?

結論はだせませんが、この空間に充満するパワーは全国の超絶パワースポットと比較してみても同級だと感じました。全国にまだ20ヵ所も満たない格付け「超絶級パワースポット」入りです。

 

 

管理人さんの説明によれば、仙台駅東口に藤村を讃える碑「日本近代詩発祥の地」が建っているとのことでした。なんでも、若菜集を書いたときの下宿先、三浦屋があった場所だそうです。居ても立っても居られなくなり向かうことにしました。つまり120年前の出発点に、120年後の到達点となる天才(自称)が尋ねるという文学史に残る邂逅が実現するわけです。文学ファンなら100万円払ってでもアリーナ席で見たい出来事じゃないでしょうか。

 

晩翠草堂まではいかないものの、こちらも強力なパワースポットでした。仙台駅の西口と東口に居を構え向き合い張りあっている二人の関係が羨ましくなりました。そこで、わたしの近所にも同じ表現方法を見据え腕を磨いているまだ見ぬ詩人が居るのかも、などと想像してみたら楽しくなってきました。出会いを期待して注意深く周囲をうかがっていきたいと思います。

パワースポット(943)「日本近代詩発祥の地」