天才詩人こうやまあきらのブログ!

パワースポット巡り100ヶ所、野球観戦100試合、日本酒100銘柄の年間トリプル100を目指して

ジャンジャン横丁の将棋道場

 

「天才詩人こうやまあきらのブログ」も開始してからもうすぐ10年。これだけ月日が経つと、昔書いた人がもう亡くなられていたり、二度と会うこともない疎遠な関係になった人もいたり、あまり知られたくない恥ずかしい出来事なんかがいっぱい書かれていたりします。

ーそこで、

読んでいただきたい日記だけを、新しいブログ「天才詩人こうやまあきらのブログ!」へと移行させることにしました。

ただ日記数が膨大なので(2500本以上!)、暇をみつけては少しずつの移行となりますので、よろしくお願いします。

 

通天閣に向かうため、ジャンジャン横丁なる商店街を歩いていると、このような将棋道場の前を通りました。

見た瞬間、ぼくの脳裏にフラッシュバックするかのように、以前テレビで見たある番組を思いだしました。その番組はNHK新日本紀行ふたたび」という伝説の番組(そう言っているのは、ぼくだけですけど)。

その舞台になっていたのが、こちらの道場でした。懐かしいと同時に、胸にうっとくるものがありました。大切なことなので、旧ブログからその番組について書いた日記を貼りつけます。

誰かあの番組を見た人、いませんかねえ~。

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【旧ブログより】

 三十年後には・・・  2011/04/19

あるテレビ番組を思い出した。もう7、8年前になるのだろうか?NHK「新日本紀行ふたたび」という番組だ。昭和50年に放送した大阪の通天閣のふもとにある横丁を、30年後にどうなったのかふたたび訪ねてみるという企画だった。
これから書くことはすべて過去の記憶に頼っており、細部にはかなりの間違いと妄想があると思われます。何卒、ご了承ください(苦笑)


30年前〜。

この横丁には将棋を指す文化が根付いていて、10を超える将棋道場はどこも客でぎっしり満員だった。待合室を将棋道場に改造した床屋では、休憩時間になった店員が走って将棋を指しにいく有様だ。そんな横丁で、その強さから「現代の阪田三吉」の異名をとる50代のオッチャンがいた。インタビューを受け、「わしは現代の阪田三吉と呼ばれてますがの〜、古い戦法で今の将棋界では時代遅れですわ~」とうそぶき、不敵な笑みを浮かべ煙草をフーッと吹く。

オッチャンは日中、牛乳配達の仕事をしていて、仕事が終わると将棋道場に向かう。道場に着くと、髪をオールバックにした痩せギスのボーイさんがドアを開けて向かいいれる。オッチャンはいつもの通り沿いの席に座る。店内の客だけでなく、オッチャンの将棋を見たいギャラリーが道いっぱいに集まってきて、ガラスにへばりついて一挙手一投足を真剣な目で追いはじめる。画面からは、この横丁の熱気や、この時代の熱気、そして将棋の世界というディープな世界に生きる男たちの熱さが伝わってくる。

そして30年後〜。

番組があのオッチャンのもとを訪ねる。安アパートのドアを開けると、あのオッチャンが出てくる。髪は真っ白になり、目は緑内障でほとんど見えない、足はおぼつかなくなって杖をついている。奥さんとも離縁して今は一人暮らし。冷蔵庫から牛乳パックを取り出そうとして床に落としてしまい、溜め息をつきながら雑巾で拭きとる。そんな痛々しい場面が映しだされる。80代になれば当然かもしれない。かつての映像とのギャップに驚く。オッチャンは毎日の日課があると言って、杖をつきながらバスに乗り込み、地下鉄に乗り継ぐ。あんなに不自由な体で遠出してまで何処に行くのだろうか?病院にでもいくのかと思ったら、向かった先は、あの30年前に放送した横丁にある将棋道場・・・。

横丁はかつての熱気がまるでない。時代の流れについていけずに衰退する一方だ。近くにできた大型商業施設のせいで、かなりの店がシャッターを降ろしたままになっている。道場も30年前の熱狂ぶりがすっかり消え失せ、数名の老人が暇そうに将棋を指しているだけ。白髪で痩せギスの店のオーナーがインタビューを受けて「10以上あった道場も今や2つしかないよ」と言う。実は、このオーナー、30年前の放送でこの店のドアを開けた髪をオールバックにした痩せギスのボーイさんだというナレーションが入り驚く。店を買い取り、横丁の将棋の灯を守っている。

オッチャンは、いつもの通り沿いの席に座る。30年前、道いっぱいにギャラリーを集めたあの席で将棋を指しはじめる。すると、道いっぱいではないけれど、3、4人のギャラリーが集まってきて、ガラス越しにその一挙手一投足を真剣な目で追いはじめる・・・。