パワースポット!
パワースポ ッター!!
パワースポッテスト!!!
より強いパワースポットを求めて全国を旅します!
パワースポットとは何か?
ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・等、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。
このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、精一杯生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。
そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます。
ところざわ、とことこ♪
こてさし、こてこて?
さやま、さやさや??
「所沢ヤマトタケル伝説の地」巡りもひと段落つき、となりの「狭山(さやま)市」に足を運んでみました。こちらにも、いくつか伝説の地があるようです。
これまでのように、京王線→南武線→武蔵野線→西武池袋線をちょこまか乗り換えて、今回はさらに所沢駅で西武新宿線に乗り換え、二つ目の「入曽駅」へ向かいます。
到着しました。プラットフォームになつかしいライオンズの試合速報が。先日、昭和の最後の年に、西武新宿線のとある駅で暮らしていたことを書きました。そのときも、各駅にこれが設置されていました。スマホで一球速報を見られるこの時代に、まさかの手書きとは(苦笑)
目的の神社へ向かいます。途中、国道50号沿いに、趣深い神社があるので寄ってみました。鳥居をくぐると、
思わぬ強力パワースポットでびっくり。強力な「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」がきます。
とくにくるのは「拝殿」、
「天神社」、
「お稲荷様」、
「入間招魂社」です。
また、郷土芸能で有名なようです。「入曽の獅子舞」。わかっているだけでも、1758年から舞っているそうです。悪疫退散の願いも込められているらしいので、今のご時世にぴったりじゃないですか。その日に来て、見物してみますか。
さらに、こんな案内図がー。
「鎌倉街道(上道)のみちすじ」。源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、後北条氏が滅びるまで400年に渡って主要道路だった鎌倉街道。武士たちの栄枯盛衰を見てきた道路とあって、名所旧跡、古戦場が数多くあるようです。歴史好きなら、順に巡ってみれば楽しいかも。
なかなかの掘り出し物のパワースポットでした。
パワースポット(850)「入間野神社」
さあ、本来の目的地へ。5分ばかりで到着しました。「野々宮神社」です。ここでのヤマトタケル伝説は、「東征の帰りに立ち寄り、水を得るために井戸を掘らせた」「その死後、叔母の倭姫命の一族がここに来て、社殿を建てヤマトタケルと倭姫命を祭った」というものです。叔母の倭姫命はタケルに「草薙剣」を渡したことで有名な、前世のわたし(妄想)にとって、大変重要な人物。なので、こちらの神社も大事にしたいところです。
この鳥居をくぐったところから、突然、強力な痛みがきました。
「拝殿」です。なかなかの迫力。「あのときは喉が渇いていたんで、たすかったよ~。あと、おばさんひさしぶり~」ぱんぱん!っと。
目の前を、大きな黒いアゲハ蝶がフラフラとやって来て、まるでわたしを導くように、奥の茂みに飛んでいきました。その先にあったのが、こちら。「神明神社」「八雲神社」「稲荷神社」「愛宕神社」「蔵王神社」様らが並んでいます。これは、あの蝶による「こちらの神様たちは、霊験あらたかだからお参りしときなさいよ」という伝言だと確信しました。念入りに、ぱんぱん!っと。
パワースポット(851)「野々宮神社」
さて、もう一つの伝説の地へ向かいます。ここから歩いて、おそらく30分以上はかかるでしょう。覚悟を決めて、さあ、しゅっぱーつ!
国道50号を南下して行きます。途中、お茶畑が見えました。狭山市といえば、頭に浮かぶのは、「狭山茶」と昨年の都市対抗野球で優勝した「Honda硬式野球部」でしょう。とくに狭山茶は、静岡と宇治と並んで「日本三大茶」と称されるほどの名産品なのです。
地図通り、入曽運動公園の交差点を左に曲がります。そのまま真っすぐ進んでいくと、あのような雑木林のトンネルが。ひえ、あの下、通るのかよ!?ケムたん(毛虫)イモたん(芋虫)がバラバラ落ちていそう・・・
難所を切り抜け、目印にしていた病院を少し過ぎた十字路を左へ。後は一直線に進むだけ。ラストスパートだ!
おや、歩道にクワガタのメスの死骸を発見。ここも自然環境が豊かなようです。
右手には、ずうっとトウモロコシ畑と里芋畑が続きます。途中、何度も雨足が強まり、傘をさしたり閉じたり。歩いている時間も40分に迫り、疲労困憊な状態に。あと、もう少し、フー、フー・・・。
すると、右手前方に神社が見えてきました。ようやく着きました「堀兼神社」です。
ここでの伝説は、「東征の帰り。不足で苦しむ民のために、富士山を遥拝し井戸を掘り、水が出たお礼として浅間神社を祭った」というもの。野々宮神社の伝説と似ています。狭山は広範囲で水不足の土地だったのでしょうか。
まずは、「拝殿」へ。造りは質素ながら、「ヤマトタケル所縁の神社に特有の荒々しい痛み」が充満していました。「なつかしいなあ~」ぱんぱん!
「浅間神社」です。ここが、井戸のお礼に祭った神社かな。一合目という碑があります。富士塚になっているのか?
ということは、あそこを登るのでしょうか?スマホで撮った画像ですと、かなり明るいのですが、実際はもっと暗くて足元がおぼつかないほどでした。おっとっと、足をすべらせながら、なんとか登っていきます。
その先には、こちら「小御嶽神社」が建っていました。よくわかりませんが、富士山を登拝したことにしました。ほんと、これでいいのか、わかりませんけど。
そして、ここが掘った井戸「堀兼之井」だそうです。「ずいぶん、住民の役にたったみたいよ、よくやった~」ぱんぱん!っと。
その他、パワースポットとして強くくるところはー、
「神楽殿」、
「御神木」辺りです。
パワースポット(852)「堀兼神社」
かなり雨がはげしく降り出してきたので、今日はここまで。狭山にはもう一か所、伝説の地がありますので、そちらは来週に巡ることにします。
《つづく》