天才詩人こうやまあきらのブログ!

パワースポット巡り100ヶ所、野球観戦100試合、日本酒100銘柄の年間トリプル100を目指して

靴とは

 

靴を磨くという行為ー、

それは、己の魂を塗り込むという行為ー、

魂を塗り込み自分の分身を産み出す行為にほかならない。

もし、わたしが理不尽な殺され方をしたら、

わたしの代わりに、この靴が仇を討ちに向かうだろう・・・

 

 ・・・なーんて物騒なことを書いてしまいましたが、まあ、言いたいのは、「ぼくとこの靴はがっちりと信頼関係で結ばれている」ということです。もう、魂という点で一心同体なのです。

 最近、靴磨き屋が流行なのだとか。靴磨き屋といえば、ヨレヨレなお爺ちゃんが路上でやっているイメージじゃないですか。ですが、最近流行っているのは洒落たバーみたいなお店で、キッチリしたスーツを着たお兄さんがやっているようです。確かに、そのようなお店の紹介をテレビや動画サイトで見たことがあります。

 洒落た店内では、最高級の靴クリームと、最高級の技術で磨きが行われているのでしょう。靴がピカピカになるのは事実なのでしょう。

 しかし、ぼくは失笑してしまうのです。そんな流行は自分とは無縁な世界だと思ってしまうのです。それは、靴を磨く方も、靴の持ち主も、靴に対する意識がぼくの意識とはだいぶ違うから。そこに感じるのは(もしかすると、ぼくの勘違いかもしれませんが)、「靴のことを『ファッションアイテムとしての道具』『歩くための道具』という『道具意識』でみている」ということです。

 ぼくの靴の意識はまるで違うものです。靴とは「靴磨きという自分の魂を塗り込む行為によって育てられた『自分の思いが遂げられなかったら、その思いを託す相手』『同じ魂を持つ、もう一人の自分』。いわば『人格意識』」なのです。(それで、冒頭の文言に繋がっていくのです。)

 これからも、その意識は変わらないでしょう。

 

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 ノコギリ丸、オオクワ丸とは、これからもずうっといっしょに、日本中を旅していくのでしょう。いつまでも、いっしょに。これからも、よろしくね。

 

 

《おわり》