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より強いパワースポットを求めて全国を旅するカテゴリー
パワースポットとは何か?
ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・と、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。
このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、せいっぱい生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。
そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます。
全国お稲荷さん三万社の総本山、京都「伏見稲荷大社」に行ってきました。
京都駅からJR奈良線に乗り二駅目、「稲荷駅」で下車。山にあると聞いていたので、もっとかかると思っていました。京都中心地からほんの数分の距離にあるんですね。
駅のホームが朱色の鳥居を意識した意匠で、ここからすでに参拝がはじまっているよう。気分が高揚します。 すでに、この段階で「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」がきます。
改札を出ると、もうすぐそこに第一鳥居が。くぐってすぐ左手に、こちらの三社がお出迎えしてくれました。経験上、こういう位置にある摂社を無視して通り過ぎてはいけません。まずは、こちらで今回のパワースポット巡りがいい出会いになりますよう、頭を下げてから、ぱん!ぱん!っと。
どんどん進んでいくほど、痛みが強くなっていく構造のようです。第二鳥居、楼門辺りでさらに強さが。
そして拝殿へ、強いですねー。
ふと、 拝殿の右手に目をやると、そこあったのが「史蹟 荷田春満旧宅」。なんと、江戸時代に民族固有の精神を説く復古神道の礎を築いた荷田春満(かだのあずままろ)大先生のお住まいではないですか。そういえば、伏見稲荷大社の出の方だったかなと。
その隣にあったのが「東丸神社」。大先生の魂を祭った神社のようです。
以前にパワースポット巡りで訪れた賀茂真淵先生の師匠にあたる方なので、これで荷田春満→賀茂真淵→本居宣長と続く、国学の本流の末端に「→こうやまあきら」の名前がつながったような気がしました。そうなると、自分に与えられた使命、結果の責任がとても重く感じられ、身が引き締まる思いになりました。
「これからの活動を、あたたかくも厳しい目で見守っていてください」と頭を下げてから、ぱん!ぱん!とさせていただきました。がんばるぞー
それから、奥にどんどん進んでいきます。
鳥居がはてしなく続いていきます。
そして着いたのが奥社。ここまでくると、強さがさらにアップしています。
奥社の裏には、小さな鳥居が滝のように置かれていました。とっても印象的な光景。
奥社の右手でしばらく佇んでいました。すると、山のほうから、とても強いものを感じました。なるほど。こちらは、よくある「山がご神体になっていて、そこから発せられる型」のパワースポットとみました。
この日は出張帰りでスーツに営業靴、あんまり登山は乗り気ではないんですけどね・・・
というわけで、たいへんですけど、山の上のほうに登っていかなければならないようなので、ここから一気に登山にはいります。
≪つづく≫
【過去の日記】
パワースポット巡り(246)〜(253)松阪市駅前商店街、本居宣長旧宅跡、本居宣長記念館、鈴屋、本居宣長ノ宮、史蹟本居宣長墓、新上屋跡 ゴールデンウィーク本居宣長の魂にふれるパワースポット巡り
2015/06/20
当時、誰も読めずにいた古事記の解読を三十五年かけて成功して「国学」を大成し、文学の根底に流れている「もののあはれ」を民族精神の神髄だと説いた本居宣長。詩には、「その根底に、憂国から発せられる強い思いが流れていなければならない」と考えているぼくにとって、先に道を切り開いてくれた頼もしい大先輩であり、また、いずれは乗り越えていかなければならない高い壁のような存在になります。
そんな宣長に関して聞くところによりますと、生まれ故郷の松阪には、その魂を祭っている神社やお墓やゆかりの名所旧跡があるんだとか。そこは、さぞかし憂国の思いや学問への情熱にあふれた、すばらしいパワースポットであるに違いありません。そこで、このゴールデンウィークを利用して「宣長の魂にふれるパワースポット巡り」と称して、松阪へ行ってみることにしました。
東京から名古屋を経て松阪駅に到着です。駅前から真っ直ぐに伸びる商店街を歩いていると、「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」がきました。まるで、宣長が出迎えに来てくれたかのようです。
パワースポット(246)「松阪市駅前商店街」
宣長関連施設、まずあったのは「本居宣長旧宅跡」になります。旧宅は移築してしまって、今はここにないんだとか。松は、宣長がその成長を見守ってきた松なのだそうです。むしろ、今となっては、宣長を見守ってきた松だと言えるかもしれません。
敷地内全体がパワースポットですが、とくに強くくるのは奥にある枯れ井戸辺りでしょうか。宣長もここで水を汲んで歯を磨いたりしていたのでしょう。
パワースポット(247)「本居宣長旧宅跡」
つぎに、松阪城の城内にある「本居宣長記念館」へ。ここは宣長の業績をわかりやすく教えてくれるところで、とくに収蔵品には目を奪われるものがありました。自筆原稿や手紙、愛用の鈴など、どれもが宣長の分身と言うべきものばかり。そのためか、館内には宣長がいるかのように張りつめたパワーが漂っていました。
また、隣には「旧宅跡」にあった邸宅が移築されていて、外の階段から内部をうかがうことができました。この邸宅は好きな鈴をぶら下げていたので「鈴屋」と呼ばれていたそうです。この建物からも発せられていて、今もここで宣長の魂が厳しい学問を続けておられるようです。
パワースポット(248)「本居宣長記念館」、(249)「鈴屋」
松阪城をいったん出て、道路をはさんだ向かい側に、宣長を祭った神社「本居宣長ノ宮」がありました。境内のパワーは控えめで、ちょっと意外・・・。
パワースポット(250)「本居宣長ノ宮」
むしろ、摂社にあたる「末廣稲荷大神」のほうが強いかも。小さいのにかなり強烈にきました。
パワースポット(251)「末廣稲荷大神」
宣長に関するパワースポットのなかで、最も強力だったのがここ。そのものズバリ、お墓になります。キンキンキンと痛いほどのパワーが頭に響いてきました。この痛みのパワーには、心安らかに眠っているというよりも、今の現状を嘆いている悲痛な憂国の思いが感じられ、胸がつまるような思いになりました。今生きている我々が、もっとしっかりしなければいけません。
パワースポット(252)「史蹟 本居宣長墓」
・・・そして、松阪の一夜
「松阪の一夜」という史実があります。それは、当時すでに国学者として有名だった賀茂真淵が、新上屋という旅館で一休みしていたときのこと。そのときまだ無名の医者だった宣長は、真淵の滞在を聞きつけて、押しかけました。そこで、まだ誰もできなかった「古事記の解読」を決意表明しました。その会談を、後世「松阪の一夜」と呼んでいるのです。
その宿のあった跡に、「新上屋跡」という碑が建っていました。その前に立つと、ふと思うところがありました。「こうして、ぼくが松阪に押しかけて宣長に会いに来たのも、ぼくにとっての『松阪の一夜』なのかもしれない」と。
そこで、かつての宣長がここで決意表明したように、ぼくもここで手をあわせ、心の中で、いくつかの決意表明をさせていただきました。その後、宣長は見事に古事記研究を成功させました。ぼくも負けずにその決意を大成したいですね。
パワースポット(253)「新上屋跡」
パワースポット巡り(618)賀茂真淵記念館と縣居神社 2019年始シッペイ太郎と浜松・掛川を巡る旅【その四】
2019/02/11
2015年6月20日の日記を読んでください。本居宣長ゆかりの旧跡を巡ってきた話を書きました。その最終地は「新上屋跡」、当時まだ無名だった宣長が、すでに万葉集研究で有名だった賀茂真淵の宿舎を訪ね、古事記研究の決意を語った「松阪の一夜」の現場になります。この会談から、宣長は国学者として世に出ていきました。つまり、真淵は宣長の師匠になり、(宣長を尊敬し心の先生だと考えるぼくにとって、)真淵は大先生になるわけです。
ただ、これまで縁がなくて、宣長のようにゆかりの土地を巡る機会はありませんでした。ところが、この間、会社近くのジョナサン浜町店の前を通ったとき、壁に案内板を見つけました。何が書かれているんだろう?と近づいて読んでみると、なんと、こここそ真淵が住んでいた住居跡だという話しでした。これには、ほんとびっくり。それからは、なにか急に縁ができたというか、繋がるものを感じまして、近いうちに訪ねてみたいと思っていました。
ーそして、ついにその時がきました。霊犬神社、小國神社を巡るために浜松に泊まった最後の日。帰りの新幹線までしばらく時間があったので、駅近のどこかにパワースポットっぽい場所がないか地図を探していると、バスでちょっと行った先に、なんと!「賀茂真淵記念館」の表示が。「おおーっ、なんという縁だろうか」と感激し、小躍りしてバスに飛び乗りました。
駅から10分ほどで目的の「商工会議所」バス停に到着。向こう側に渡ると、すぐ先に入口がありました。まずは、そこにあった「賀茂真淵翁誕生の地」でご挨拶を。今日はよろしくお願いします。
そこから坂を登っていきます。わくわく。
神社に着きました。「縣居(あがたい)神社」と書かれています。どうやら、真淵を祭っている神社のようです。真淵の魂が、ぼくの訪問を歓迎してくれているかのように、「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」がきました。おじゃまします。
まずは記念館のほうへ。学芸員の方々が優しくその生涯、学問の意義を教えてくださいました。帰りの時間が迫っていなければ、もっと聞けたのに残念。
館内にも痛みが充満しているのですが、思ったより穏やかめ。
そして境内へ。まずは、拝殿でごあいさつを。「孫弟子のこうやまあきらと申します」ぱん!ぱん!っと。こちらも穏やかめ。心穏やかな優しい人柄がうかがえます。
境内には歌碑が並んでいました。その歌碑からきているようです。歌に魂が宿っているかのようです。
とくにくるのがこちらでした。賀茂真淵が詠んだ「大御田のみなわも ひちもかきたわれて とるや早苗や わか君のため」の歌碑になります。こちらの歌に託した思いが強いのでしょうか。
最後にふと思うことがありました。
ー真淵大先生は万葉集研究を通して民族固有の精神を説き、宣長先生は古事記・源氏物語研究を通して説きました。しかし、ぼくは実作者として、それを古典ではなく、自身の作品によって直接説くことができます。真淵大先生は、それを「ますらおぶり」と呼び、宣長先生は「もののあはれ」と呼びました。じゃあ、ぼくは何と呼べばいいのか?これからは、自分だけの言葉を考えていかなければいけないでしょう。
帰り際、鳥居のところで「そのためにも、心込めて作品を書いていきます」と決意しました。そういった意味でも、今回の訪問は、ぼくにとっての「松阪の一夜」になりました。さあ、これからがんばるぞー!!