天才詩人こうやまあきらのブログ!

パワースポット巡り100ヶ所、野球観戦100試合、日本酒100銘柄の年間トリプル100を目指して

日本の四大聖地 【旧ブログより】

 

パワースポット!

パワースポッター!!

パワースポッテスト!!!

より強いパワースポットを求めて全国を旅するカテゴリー

 

パワースポットとは何か?

ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・と、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。

このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、せいっぱい生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっています。

そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます。

 

パワースポット巡りも600箇所を超えているので、過去の日記からこっちに貼り付けるのもたいへん。なので、重要なものから選んで、徐々に貼っていきます。まあ、気長に待っていてください。

 

 

ついに発表!日本の4大聖地パワースポット 2015/11/29


一 大美和の杜展望台(奈良県大神神社

 かつて卑弥呼邪馬台国があったといわれる平野に、万葉集で歌われた大和三山が並び、背後には古来より信仰の場になっていた金剛山葛城山二上山信貴山が連なります。そして、この展望台は、最古の神社といわれる大神神社の境内。この国の歴史を知る者ならば、その意味がわかる者ならば、眼下に広がる風景が、いかに奇跡的なものなのかわかるでしょう。

・・・遠い遠い気が遠くなるような、はるか昔、わたしたちのご先祖様はここから立ち上がりました。それから、いくつもの幸せと笑いのある暮らしがあって、それと同じかそれ以上の悲しみと嘆きがあって、それでもみんなで手をとりあって、今のわたしたちがいるのです。ここに立つと、学校で習った歴史の教科書を開いて、もう一度最初から勉強したくなります。万葉集を読みたくなります。
ここは、歴史、文学、宗教のはじまりが一望できる「すべてのはじまりの聖地」になります。

 


二 神武天皇御陵(奈良県橿原市

昨今、「絆」という言葉が盛んに言われています。しかし、そこで言うところの「絆」とは、人同士によるいわば「横の絆」のこと。もちろん、それは大切で、大事にしなければならないものですが、神話の時代の神様からはじまって、ご先祖様、両親を経て、今のわたしたちに繋がる「縦の絆」も同じように大切だと思うのです(その価値について、あまり語る方がいないのが残念です)。横の絆と縦の絆が編み目のように交差することで、本当の「強固な絆」が出来上がると思うのです。
建国の立役者の前に立つと、その威厳あるパワーに圧倒されます。全国にあるいくつものパワースポットを巡ってきましたが、ここほど張りつめた厳粛な場所はありませんでした。そして不思議なことに、ここに立っていると、民族のこと血のつながりのことを考えるようになりました。やがて、思いが募ってきて、こみ上げてくるものがありました。それはやはり、最初のご先祖様と「縦の絆」でしっかりと結ばれたからではないでしょうか。
ここはそんな「本当の絆の聖地」になります。

 

 

三 遊就館一階「靖国の神々」の広間(東京都靖国神社

 初めて入ったときに、霊感などまるで無いぼくでも、あきらかに霊に囲まれていることがわかりました。霊といっても、みなさん、ほんとあたたかくて、心の底から体の芯からポカポカとあたたかく感じられるほどでした。ちょうどその頃、気弱になっていた時でして、そんなぼくに、後ろから「生きてるおまえがしっかりしないで、どーするんだ!」と肩をバンバン叩いて、厳しくもあたたかい叱咤激励をしてくれるのを感じました。
国や子孫繁栄のために命を捧げた方が、味方についてくれるのです。これほど心強い味方はいないでしょう。ここは、今なをその行く末を案じ、あれやこれやと手を焼いてくださる大先輩方が、「気合いを入れてくれる、覇気を注入してくださる聖地」になります。

 

 

四 大谷吉継の墓と平塚為広の碑(岐阜県関ヶ原

 負けるとわかっていた関ヶ原の戦いに、光成との義を貫くために参加した吉継と、その吉継との義を貫くために参加した為広。ここは、「男とはこうでありたい」と思わせる「男の生きざまの聖地」になります。

戦いは、小早川秀秋らの裏切りにより敗戦濃厚になると、為広から吉継に「名のために 棄つる命は惜しからじ 終にとまらぬ浮世と思えば(名誉のために棄てる命は惜しくない、人は永遠に生きられないのだから)」と書かれたポエムが送られました。それを読んだ吉継は「契りあれば六つの巷に待てしばし 遅れ先立つ違いありども(六道の辻で会おう 会うのにすこし先か後になるかの違いがあるだけだ)」と書いて為広へ送り返し、その後に腹をかき斬って壮絶な最期をとげました。

命が懸かった戦場で、命懸けのポエムのやりとりがあったわけです。「おまえは、そんなぎりぎりのところで書いたことがあるのか?」「そんなぎりぎりのところで、やりとりをする相手がいるのか?」と、思わず自問したくなります。
ここは「詩人の聖地」でもあるのです。