♪ この美しい日本列島に
クワガタ民族と大和民族の美しい共同体を作りたい
さあ、手をとりあって
夢の社会を作ろうよ
おお、われらが国虫会
栄光の国虫会
大日本国虫会 ♪
2013年9月、駅前大型スーパーで売れ残っていた可哀想なクワガタを引き取ってやりました。はじめは、可哀想で引き取っただけでしたが、その魅力にとりつかれていくようになりました。そのうち、日本に「国虫」が決まっていないことに気づき、この魅力あるクワガタを国虫にしようという高い志をもつようになりました。そして、ついに、その志を遂げるべく「国虫会」を結成しました。総裁をはじめ要職にはわたしが就き、必ずやフリーメーソンを超える秘密結社に発展させるつもりです。どうか、ご期待のほどよろしくお願い申し上げます。
国虫会 総裁(兼)会長(兼)理事長(兼)幹事長(兼)広報部長(兼)飼育部長 こうやまあきら
「古事記」「北九州ヒラタ一家」と、国虫会の二大看板累代について振り返りましたが、それ以外にも、すばらしいクワガタが会員としていましたので紹介します。
世界にはたくさんのクワガタがいますが、甲子園で高校野球を観戦したクワガタは、なかなかいないでしょう。そんな、貴重な経験をした「ぷち・ボブサップ」です。
「ぷち・ボブ・サップ」登場 2014/08/02
わが家に超大型のクワガタがやってきました。アルキデス・オオヒラタクワガタといいます。
分厚い脂肪の下に、鍛え上げられた筋肉がギュウギュウに詰まっているような太マッチョな体、ツヤツヤと黒光した肌。そして、野獣と呼ぶべく凶悪な性格。うーん、どこかで見たことがあるような・・・あ、そうだ、ボブサップだ!というわけで、こいつの名前は「ぷち・ボブサップ」にしました(笑)
しかし、「ぷち」とは言っても、もし本家と同じく2mmあったとしたら、本家はもちろん、人間なんて誰も相手にならんでしょう。この太くて鋭いクワガタ界一といわれている顎に挟さまれれば、首なんて簡単にチョン切られてしまいますから。まさに、アルキ“deth”な奴なのです。
ぼく<あ、でも、よく見ると瞳がつぶらで案外かわいいかも
ぷち・ボブサップ<よろしくデブ
観衆4万6000人+1匹 2014/08/16
12日の第2試合、甲子園の観衆は4万6000人と発表されました。プラス1匹いたのを主催者は知らなかったでしょうねえ・・・
といいますのも、話しは一週間ほど前にさかのぼります。東京は連日30℃以上を記録し、うんざりするような暑い日が続きました。うちのクワガタたちも、みんなぐったり。インドネシアやスマトラ生まれと聞くと、暑さには馴れているような感じがしますが、じつは、そうでもないのです。熱帯の国の中でも、彼らが住んでいるのは、かなり山の上のほうで、けっこう涼しいところらしいのです。だから、意外や暑さは苦手なのです。
とくに、ぷち・ボブサップが苦しんでおりまして、ある日、帰宅してみると、ひっくり返って動けなくなっていました。無理もありません。とくに標高の高い山に住んでいる種族ですので。それからは、保冷剤や凍らせたぺットボトルで周りを囲ったりして対策を講じていました。しかし、来週からは甲子園観戦のために4日間、家を空けなければなりません。保冷剤、ペットボトルが効くのは、せいぜい1日まで。後3日は、とうていもたないでしょう。うーん、どうしようか、と考えて考えた結果・・・甲子園に連れていくことにしました(笑)けっこう大変な道中になると思いますが、これもかわいいクワガタのため。愛する者のために、がんばりますよ。
というわけで、ぷち・ボブサップが甲子園に来ていたのです。でも、せっかくいい試合が続いていたのに、まったく試合に関心がないようで、ずうっとうずくまったまま寝ておりました(あたりまえか)。「冷凍のアクエリアス」を買って横に置いてやったので、蒸れるような暑さの甲子園でも気持ちよさそうでした。それにしても、こんなすぐれ物がなんでこっちの球場には売ってないのでしょうか。ぜひとも、神宮球場で扱ってほしいものです。
つぎの日からは、がんがんに冷房をかけたホテルでお留守番させました。「節電のため、冷房は28℃に設定してください」と書かれたホテルの注意書を守らずに24℃に設定。T横インさん、申し訳ございません。
けっきょく、元気に4日間を過ごして帰宅しました。世には数多くのクワガタがいますが、「甲子園観戦したクワガタはそうもいない」でしょう。名誉なことですよ。よかったね〜、ぷち・ボブサップ。
巨星落つ 2014/09/26
今朝、甲子園観戦クワガタ、「ぷち・ボブサップ」が息をひきとりました。
もうとっくに視力を失ない、硬直して脚が動かなくなっているというのに、必死に前へ前へ進もうとして、もがく・・・ぷち・ボブサップ。
なにかをつかもうと、必死に手を伸ばそうとしている・・・ぷち・ボブサップ。
見ているのがつらくなってくる。
けれど、与えられた限りある命を精一杯生きて、いま最後の命の炎を燃やそうとしている勇者の姿は、最後まで見届けてやらなければならない。けっして目を逸らしてはならない。それが男の流儀。
やがて、よくドラマなんかで人が死ぬときに、大袈裟に首をガクってやるように、大袈裟にガクってひっくり返ったまま動かなくなった・・・ぷち・ボブサップ。
その混沌とした意識の中で、最後に浮かんだのは、やっぱり生まれ故郷のジャングルなのだろうか?ぼくの顔や甲子園の風景だったら、うれしいんだけど。
もう、出かけなければならない。さようなら・・・ぷち・ボブサップ。
そして、おつかれさま・・・ぷち・ボブサップ。
死生観 2014/09/28
生きとし、生けるものすべては、やがて死んでいくものです。どんなに強くて元気だったクワガタでもその例外ではありません。
詩は文学の一部ではなく、宗教の一部だと思っています。死生観の深いといころまで行き着かない詩はダメな詩だと思うし、それを書けない詩人はダメな詩人だと思います。ですから、日常で起こり得るあらゆる局面で、自問自答し死生観を鍛えていかなければならないのです。
そして、死別という局面こそ、死生観が最っとも鍛えられる時だと思うのです。ぼくは伝統的な日本の死生観に準じて、生物の死は「お別れではなく、あっちの世界から、ぼくたちを守ってくれる神様という存在になる」ものだと考えております。
だから、涙をぐっとこらえて、笑いながら、「おつかれさまでした。これからもよろしく」って言ってやりたいですね。