天才詩人こうやまあきらのブログ!

パワースポット巡り100ヶ所、野球観戦100試合、日本酒100銘柄の年間トリプル100を目指して

負のパワースポット?久米川古戦場 鎌倉攻めを巡る旅② 

 

パワースポット! 

パワースポ ッター!!
パワースポッテスト!!!
より強いパワースポットを求めて全国を旅します!

  

パワースポットとは何か?
ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・等、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。
このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、精一杯生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。
そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます。

 

 

さて、この日 (22日)は、つぎの古戦場である「久米川古戦場跡」へ。これまでは、JR武蔵野線に乗り新秋津駅西武線に乗り換えていました。今回は、少し順路を変えてみます。武蔵野線西国分寺駅で中央線に乗り換えて国分寺駅へ。そこで、こちら西武国分寺線で向かうことにします。最近、銀色や青色やらの車両を見かけますが、やっぱり西武鉄道といえば、この黄色の車両なのです。わたしが沿線に住んでいた頃、「東京の肥溜めから埼玉の畑にう×こを運ぶから黄色にした」との都市伝説を聞いたのですが、今も噂されているのでしょうか?本当のところはどうなのでしょうか(笑)

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古戦場に向かう前に、わたしが昭和最後の年に一年間だけ住んでいた「久米川駅」へ寄ってみました。北口にロータリーが出来ていたり、行きつけの町中華や、行きつけのミスタードーナツ、(行きつけじゃない)いかがわしい店が入ったビルがなくなっていたり、あるいは逆に南口の本屋や西友が健在だったりで、30年以上経ち、変わったものと変わらないものとが混在していました。で、肝心のわたしが住んでいた〇〇荘はというと、残念ながら姿かたちも無いというか、再開発で道も変わっていたりで場所を特定するのも困難なほどでした。残念ですが、まあ仕方ないことでしょう。わたしの記憶の中にだけ存在する思い出になってしまいました・・・。

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久米川古戦場は、久米川駅よりも隣の「東村山駅」のほうが近いようです。なので、そちらに移動しました。東村山といえば、この方でしょう。東口の銅像の前では、今なお、車で乗りつけた家族連れや、こちら目当てにやってきた数人のグループが盛んに記念撮影していました。わたしも小学生時代には、毎週土曜の「東村山音頭」で大笑いしたものです。銅像に「ありがとうございました」と頭を下げてから、ぱんぱん!しました。

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 さあ、西口に渡り、ここから古戦場へ向かいます。「八国山」という緑地の麓にあるようです。そんなに難しい順路ではないようですが、はじめての土地ですから不安は拭えないもの。ちょうど、お誂え向きの「道先案内の神様」を祭る「猿田彦神社」がありました。拝殿近くで「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」がきます。「古戦場まで、無事にたどり着けますように宜しくお願い致します」ぱんぱん!っと。

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パワースポット(856)「猿田彦神社東村山市)」

 

すぐ出たところで、セミが突然「ギギギギギー!」と不気味な鳴き声を発し、体当たりしてきました。とっさに避けると、まるで通せんぼするかのように足元に。「これ以上行くな」と警告を発しているかのようです。おっかねー、この先、何が待ち受けているのやら・・・。

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志村けん東村山音頭のおかげで、東村山という響きには笑いや楽しい町というイメージがあります。しかし、西口を出発して10分程歩くと、何やら町全体に漂う負のパワーを感じてきました。「もしかして、悲しみの町ではないか?」と。パワースポット巡りを続けていくうちに、すっかり、その土地や町が経験してきた歴史によって培われたパワーの質を鋭敏に感じとれるようになったのです。スマホで検索してみると、平安時代末期には、伝染病や飢えで苦しむ者を収容する「悲田所」という施設があったそうです。設置場所がはっきりせず、歴史学者による諸説があるようですが、東村山のこの辺りも有力な一つなのだとか。往々にして、そういった跡地には野盗が出没したり、貧困者が住みついたりして荒れ地になっていくもの・・・。何かわかるような気がしてなりませんでした。今、住んでおられる方には申し訳ないですけど。ただ、水はとてもきれいなようです。下水路に、よく見ると小さな魚の群れが気持ちよさそうに泳いでいたりします。

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歩いて20分程経ちました。橋の名前が「将陣場橋」、なんか雰囲気出てきました。

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おおっ、目的地の「八国山」緑地に着いたようです。では、この周囲をぐるっと回っていきます。どこにあるのかな?

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到着しました。「久米川古戦場跡」です。案内板を読んでお勉強してみましょう。えーと、なになに・・・。「新田貞義の軍勢は、11日初戦の小手指原合戦で鎌倉軍を破り、翌12日に南下して第二戦が行われたのがこの周辺一帯であるといわれている」ふーん。「久米川合戦に勝った新田義貞が塚を築き旗をたてたといわれる将軍塚が八国山にある」ほー。「久米川一帯は、その後も建武2年(1335)の中先代の乱や応永23年(1416)と同24年(1417)の上杉禅秀の乱などたびたび合戦の戦場となった・・・」ああー、やっぱりね。そういう負の歴史が蓄積されているんですね。

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 恒例の野鳥シリーズ!

 ガビチョウがうるさく鳴いていました。でも、こやつらは中国からペットとして輸入され、やがて放鳥され野生化したので「中国人」扱い。「日本の野鳥」のくくりではなく、駆除の対象なのだとか。

 

<ギャーギャーギャー!(人種差別はんたーい!)

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標高89.4メールだけど、「上野国下野国常陸国安房国相模国駿河国信濃国甲斐国の『八国』が見渡されるから『八国山』」だそうです。確かに昔だと、高い遮るものがないので遠くまで見渡せたのでしょう。この一帯で合戦が多く行われたのもそれが理由の一つかもしれません。どう見ても山中は、ケムたん(毛虫)イモたん(芋虫)でいっぱいそう。頂上には、義貞の「将軍塚」が あるというので、やつらが姿を消す秋冬にもう一度来て登ってみたいと思います。

 

 

さあ、次は分倍河原古戦場だ~。

 

 

 《つづく》