世界の富裕層はイベントを求めて一年を同じスケジュールで旅するといいます。
2月はハリウッドにアカデミー賞授賞式へ、5月はモナコにF1観戦へ、8月はオーストリアにザルツブルク音楽祭観賞へ、9月はミラノに春夏物コレクション、10月はパリに凱旋門賞へ、というように。これを「ハイライフカレンダー」というのだそうです。これと同じように、わが国のアマチュア野球界にもハイライフカレンダーがあるのをご存じでしょうか?4月は神宮球場に東京六大学野球春季リーグ観戦へ、7月は東京ドームに都市対抗野球へ、8月は甲子園に夏の高校野球へ、9月は神宮球場に戻って六大学秋季リーグ、11月は京セラドーム大阪に社会人野球日本選手権、最後は神宮球場に明治神宮野球大会を観戦する旅のことをいいます。日本人にとってみれば、こちらのほうがよっぽど贅沢な旅ではないでしょうか?少なくとも、ぼくにはそう思えて仕方ありません。
さあ、最高の贅沢を求めて、「アマチュア野球界のハイライフカレンダー」に沿って出発です!
スマホでニュースを見ていたら、ヤクルト・スワローズ「原樹里投手 戦力外通告」という文字が躍っていました。この投手、甲子園を初めて旅したとき目にしました。改めて旧ブログを読んでみると、なんと2011年ですから、もう14年経っていることにびっくり。対戦相手の応援席に居たので、東洋大姫路高校の投手だった原についてはほとんど触れていません。ただ、前評判も高かったし、この日の投球もすばらしかったと記憶しています。「昔出会った名前で思い出がよみがえる」のも旅の醍醐味でしょう。
【旧ブログより】
甲子園観戦記2日目 2011/08/18
初日は途中からの観戦だとわかっていたので、あらかじめ前売を買っておきました。しかし、2日目は「朝に当日券を買えばいいや」と軽く考えていたのが甘かった。早朝、5時に起きて、甲子園駅に6時ちょっとに着いたら、すでにこの状態!当日券を買い求める長蛇の列が、駅前広場まで続いていました。これには、かなり焦りました。
今日の第1試合は富山の新湊と地元兵庫の東洋大姫路の対戦でした。新湊といえば、80年代の高校野球ファンには“伝説のチーム”。86年の選抜で、無名だった新湊がつぎつぎと強豪校を負かしてベスト4まで進出し「新湊旋風」と呼ばれていたのを記憶しています。テレビ観戦していて印象に残っていたのは、応援団の人数とその熱狂ぶりでした。そして、今日も応援団の人数と熱狂ぶりは凄まじいものがありました。1塁の新湊側に座ると、青い帽子をかぶっている人、ユニフォームを着こんだ人がぞくぞくと入ってきて、あっという間にスタンドが埋まっていきます。みんな、ビールの売り子を呼んで、試合開始前の早朝まだセミも鳴いていない時刻なのに、すっかりできあがってる状態に。試合まえの守備練習、選手たちがベンチから飛び出してくると、ウオ―という大歓声が!
試合が始まると、ピッチャーが1球ストライクをとっただけで、大歓声が上がります。その様子をあきれて眺めていたら、となりに座っていたお兄さんが、応援用のウチワをくれて意気投合、ぼくも一緒に応援することにしました。そのうち、ヒットがでると「青いハタキ」のようなものを振りかざして、何かを叫んでいるのが気になってきました。となりのお兄さんに聞くと、「あーいやさ」と言っているんだそうです。地元のお祭りで使うかけ言葉なのだとか。ぼくはてっきり、アホの坂田の「あーりがとさん」って言っているのかと思いました(笑)
強豪校・東洋大姫路に対して一歩もひかず大善戦。7回まで1−2とまったくわからない展開にもちこみました。ところが、8回裏、新湊に手痛いミスが。センターが目測を誤ってしまったのか、打球を後ろにそらしてしまう。これを機に、姫路の大攻勢がはじまって、この回、いっきに9失点。ふつう、こうした展開にはヤジの一つや、二つ飛び交うものだけど、みなさん長い、長い苦しい時間をじっと耐え忍び、なんとか3アウトをとってベンチに戻ってくる選手たちに温かい声援が飛び交っていました。
けっきょく大差がつく試合になりましたけど、試合終了後に相手の姫路にも大きな拍手を送る新湊の人たちに、すっかりファンになりました。最後に、となりのお兄さんがキッパリと「来年の夏も、ここに来ます」と言って、ぼくに右手を差し出しました。もちろん、ぼくも、その右手をがっちり握って「じゃあ、来年また会いましょう」と言って別れました。また、新湊の人たちと会いたいですね!


