パワースポット!
パワースポ ッター!!
パワースポッテスト!!!
より強いパワースポットを求めて全国を旅します!
パワースポットとは何か?
ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・等、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、精一杯生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます!
土曜日(12日、土曜日)、京都のJR桂川駅近くで商談がありました。再三このブログで書いてきましたが、よその土地に来たときは、よそ者として、地元のパワースポットに挨拶するのがわたしの流儀。挨拶するに相応しいパワースポットはないか?沿線路線図を見ていると、どこかピンとくる駅を見つけました。昨年巡った「長岡京駅」の隣に在る「山崎駅」です。待ち合わせより少し早い時間に到着して、駅周辺を巡ってみることにしました。
新幹線で京都駅に到着すると、京都線に乗換え約15分、5つ目の「山崎駅」に到着しました。構内にはこのような看板が。そうか、山崎とはサントリーの山崎なんですね。

いたって駅前はのどかな郊外の住宅地といった雰囲気。でも、少人数ではありますが、旅行者組が何組か待機していました。知らなかったけど、それなりの観光地なのかもしれません。

いつものように駅前の観光案内図で今日の順路を決めます。

とはいえ、商談時間もあることですし、大冒険できる時間はありません。駅近でさらっと巡れる距離を探していきます。えーと、「現在地」から下って「離宮八幡宮」→「国界碑」→「関大明神社」→「宗鑑井戸」を巡る順路にします。

駅前広場を下って最初の信号に出たところで、最初の目的地「離宮八幡宮」がぬうっと顔を出しました。こんな近場だったとは、これにはちょっとビックリ。

参道を歩いて行きます。なかなかの古社な雰囲気。

「油祖像」。説明版を読むと、まずは平安時代に、離宮八幡宮の神官が長木という油しぼり道具を作りエゴマ油の大量生産が可能になりましたと。中世になると、この功績によりエゴマから油を製造する独占権を認められ、山崎の油売りたちが京の都へ売りに出かけました。これにより、離宮八幡宮は「本邦製油発祥の地」として日本国内の油商から崇敬され、現在に至っているとのことです。石油・電気がなかった時代、油は大変重要なエネルギーだったと思われます。そんな重要なものを一手に引き受けていたというのですから、さぞかし繁栄していたことでしょう。こんな大物が潜んでいるとは、この地を選んで正解だったと思いました。

山門をくぐるとー、

おおっ、なんという圧よ。くぐった瞬間、「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」というよりか、なんというか空間がよじれたような圧がきました。「今日の商談がうまくいきますように。また、こちらの油売りがバンバン油を売りまくったように、わたしも自分の詩集をバンバン売りまくることが出来ますように」。ぱん!ぱん!

拝殿の左側、摂社がならぶ広場へ。ここにも空間がよじれているような、目まいがするような不思議な感覚が充満しています。

「藤棚」。こちらもすごい。よじれを感じます。

不思議な強さを感じさせる神社でした。地図に沿って歩いていきます。出てすぐの所に、このような標識が。ここから先は「大阪府島本町」に入るようです。

「従是東 山城国」碑。つまり、昔も今もここは京都と大阪の国境なのでしょう。その横には「羽柴 明智 天下分け目の山崎合戦のまち」と書かれた大看板も。そうか、日本史の授業で習いましたっけ。本能寺で信長を討ち取った明智光秀と中国地方から引き返してきた羽柴秀吉との合戦場が山崎でした。そんな歴史に名を残こす土地にいるとは思いもよりませんでした。とんだ大物にたどり着いたわけだ。

横に建っていました「関大明神社」です。こちらからも、離宮ほどの強さは感じませんが、ねじれたような空間は同じ。ただこの時、東京とは質の違う京都の猛暑にやられまして、疲労が頂点に。意識が朦朧としてきて細かい部分の感じとりが出来なくなりました。もう、パワースポット鑑定どころではなく、滝汗をハンドタオル2枚を使って拭きふきし、用意していたポカリを1本一気飲みし、しばらくボーッとしていました。

パワースポット(1048)「関大明神社」
さあ、一息した後、力を振り絞って最後の目的地「宗鑑井戸」へ。関大明神社に書かれていた説明版によると、宗鑑とは「俳諧の祖」と呼ばれた戦国時代の俳諧師だとか。この方は知りませんでした。詩と俳諧は同じ分野ではありませんが、短い文章で相手の心に訴える同じような文学作品と考えれば、わたしの大先輩と呼んでも差し支えない方かなと。これは、ぜひ拝みたいところです。ところが、これが全然見つからないのです。住宅が細かく入り込んでいるので、ああでもない、こうでもないと近場をグルグル彷徨うはめに。ここでまた、滝汗がドバーッと。ひえーっ!
途中、こんな案内柱を見つけました「水無瀬神宮」です。興味をひかれますが1.3kmあると時間がかかり過ぎます。また次の機会ということで。

関大明神社の前の道を、大きな声で笑う恰幅の良い西洋人観光客の集団が何組か通って行きました。おそらく、この先に在る「サントリー山崎蒸留所」がお目当てかと(体型を見ての偏見かもね)。背景に連なる山の頂上の木が「寿」に見えてきました。こじつけし過ぎでしょうか(笑)

周辺に用水路というか、小川というか、どちらにしてもかなりの清流と呼んでもいいぐらいの流れが。水の清い土地のようです。それを使用するために、大手酒造会社から蒸留所に選ばれたのでしょう。だとしたら、井戸もかなり期待できますね。どこだ?どこだ?

結局、井戸は発見できず。もう時間もあれなので桂駅に戻ることにしました。ちょうど、離宮八幡宮の裏通りに差し掛かったところ、この金網の中から強力な空間がねじれるような痛みが放たれていました。説明版を見ると「山崎駅跡・河陽離宮跡と離宮八幡宮の池跡」と書かれています。山崎駅とは今の京都線の駅ではなく、歴史資料・日本後記に記載されている馬の乗継ぎや宿泊に使われていた施設のようです。離宮八幡宮とは道路一本隔てての距離になりますので、一つの土地を発信源とする同根のパワースポットと考えてよろしいでしょう。こちらにも、ぱん!ぱん!とさせていただきました。
の
パワースポット(1049)「山崎駅跡・河陽離宮跡と離宮八幡宮の池跡」
残念ながら、ここで時間終了。ふらっと寄ってみた駅が、まさかの見所満載の町でした。これぞ古都・京都の実力でしょう。また、機会があればこの辺りで探索してみたいと思います。