天才詩人こうやまあきらのブログ!

パワースポット巡り100ヶ所、野球観戦100試合、日本酒100銘柄の年間トリプル100を目指して

令和7年(2025)ゴールデンウィーク 八高線パワースポット巡りの旅 第3日目最終日 児玉駅 (1038)~(1040)競進社模範蚕室、塙保己一記念館・旧宅・墓所、御霊稲荷神社、日本神社

 

パワースポット! 

パワースポ ッター!!
パワースポッテスト!!!
より強いパワースポットを求めて全国を旅します!

 

パワースポットとは何か?
ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・等、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、精一杯生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます!

 

 

第3日目最終日 児玉駅

いよいよ、最終日となりました。まだ巡れていない駅がずらっと並んでいますが、その中から児玉駅を選んでみました。というのも、ちょうど8時55分発の八高線児玉駅止まりでした。なので、単純に、そこまで行って巡ってから、時間がある限り松久駅用土駅〜と移動してみようと思ったのです。児玉という地名は聞いたことがありませんし、何か連想する歴史文化もありません。さて、どんな出会いが待っているのか?楽しみです。


八高線車内には、向かい合った二人用の席があります。カップル席でしょうか?わたしは、相棒のリュックと向かい合って座りました(笑)

 

この車窓の風景が見られるのは最後。しっかり目に焼き付けます。色々ありがとう。眼下に流れているのは神流川。なかなかの清流です。この辺りを自然観察する際に、鍵となる存在とみました。この川を巡る旅もしてみたくなりました。

 

昨日巡った「丹荘駅」を通り過ぎました。あの正面に見える山の麓に「金鑚神社」が建っているはず。ここから改めて、ぱん!ぱん!っと。

 

高崎駅を出発して約30分、到着しました児玉駅です。駅舎二階から見る風景です。商店街、住宅が並んでいますが、その先に山が広がっています。

 

あらかじめ事前情報は集めずに、偶然の出会いに期待して、駅前の観光案内図を見て、その場で順路を決めるのがわたしの旅行流儀。さて、どこか魅力的なパワースポットはあるかな?おおーっ、何という大物が!?「塙保己一先生」誕生の地のようです。はなわほきいち塙保己一・・・この名前に強い思い出がありました。わたしが中学1年生の時、現代国語の授業で、この名前を読めなかった、また業績を知らなかったクラス全員に、令和では考えられない昭和ならではの授業をする先生が「今の若者はこんな偉大な人物を知らない!バカもん!」と激しくお叱りになられた記憶です。ネットで検索ができなかった時代なので、授業後に図書室にこもり人物図鑑で調べてみました。江戸時代後期、失明の憂き目にあった後に克己して、全国から貴重書を集めた「群書類従」という文献集を発刊した盲目の国学者だと知りました。あのヘレン・ケラーが、母親からお手本にするよう教えられたという逸話もあるのだとか。

 

では、具体的に巡る順路を決めていきます。やはり、塙先生所縁りの施設が充実しているようです。記念館から旧宅へ歩いて行くことにします。また、昨日は巡れなかったお蚕様を育てた高山社ですが、駅近くに「競進社模範蚕室」という、おそらく同じように蚕を育てていた施設跡があるようです。ぜひ、ここも行ってみたいと思います。

 

ずうっと 川を下った先に「骨波田の藤」とあります。今日も藤の花が見られそうです。さらに、その先には、なんと「日本神社」なる、まるでわが国を代表するような大きな名称を持つ神社が建っているようです。この二箇所を巡ることにします。楽しみです。

 

駅から5分足らずで案内板が見えてきました。

 

まずはお勉強を。なになに、「養蚕技術の改良に一生をかけた競進社木村九蔵社長が、明治27年(1894年)に、競進社伝習所内に建てたもので、本県に数少ない産業構造物の遺構です」とのこと。「炭火の火力で養蚕の湿気を排除し、病蚕を防ぐ『一派温暖育』と称する蚕の温暖飼育法を考案した」そうです。また、同社から多くの卒業生が全国に羽ばたき、わが国の近代化に大きく貢献した養蚕業を支えてきたとか。すばらしいじゃないですか。

 

すごいことになってる。建物内にはピリピリと辛めの「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」が充満していました。この建物の中で、イモたんの御神祭ともいうべきお蚕様を育てていたようです。実際、その現場を見たら、わたしは失神して倒れてしまうでしょう。このブログで再三、書いてきました。わたしにとってイモたん(芋虫)ケムたん(毛虫)は天敵のような存在で、あのオゾマシイ姿を見ると心臓が止まりそうになるほどビックリしてしまうのです。わが国には御霊信仰という信仰形態があります。悪い奴を祭ることによって、逆に護ってもらう信仰です。昨日それを思い出し、高山社を参拝することで、イモたんを克服しようとしましたが、残念ながら時間がなくて巡れず。そこで、こちらで願いを果たすことにしました。「これから、イモたんと遇っても驚かいようになりますように・・・できれば、遇わなくてすむ一生が送れますように」ぱん!ぱん!

 

この強い氣は、創業社長の強い思いによるものでしょうか。これまで、産業や地域に貢献してきた起業家の銅像から、強い氣を感じることが多々ありました。この時代の起業家が持つ、私利私欲だけではない、国の将来のために奮迅してきた芯の通った強さを感じるのです。こちらも、その系統のパワースポットのようです。(今のIT起業家たちに、この気が出せるかはちょっと疑問ですね)。業界は違うけれど、尊敬する偉人として先輩として、お手本にさせていただきます。ぱん!ぱん!っと。

パワースポット(1038)「競進社模範蚕室」

 

つぎに、記念館へ向かいます。目の前を、年配の団体旅行客が通り過ぎて行きました。どこ目当てなのでしょうか。もしかすると、どこかで一緒になるかもしれませんね。

 

商店街の向こうに連なっている山が見えました。自然環境に囲まれた町だということがわかります。

 

10分程で到着しました。塙保己一記念館です。無料で入れました。内部には、資料と功績がパネル展示されていて勉強になります。ヘレン・ケラーがお手本にしてきた逸話には、何度読んでも心にグッときます。バワースポットとしては、大変おだやか、たよ微細な感じで、さほど強いという感じではありません。

 

では、つぎに「旧宅」へ向かいます。地図によれば、けっこう離れていました。あの手の地図は、細かい道が省略されている場合が多いので、少々、不安になります。迷わず、時間をかけずに、たどりつくことができるか?

 

草むらに、キジのオスメスを発見。沿線では、あちこちで鳴き声を聞いてきました。

 

ようやく、最終日になって姿を見ることができました。

 

市街地を出たので、視界を遮る建物がなくなりました。青空を背景に、緑色の山々が広がる絵画のような景色。旅は晴れの日に限ります。

 

唯一、雪が残る山が見えました。あの山頂の形は浅間山ではないか、と。パワースポット巡りしてみたい候補です。鬼押出し岩なんて、明らかにパワースポットでしょう。

 

あのギザギザした山はおそらく赤城山ではないか、と。ちょうど昨年の今頃、「令和6年ゴールデンウィーク・バワースポット巡りの旅」で行きました。「あのときは、お世話になりました」あのどこかに在るであろう赤城神社に向かって、ぱん!ぱん!と。

 

悪い予感が当たったようです。同じところをグルグル回ったり、行き止まりになって引き返したり、さまようはめに・・・

 

道祖神さま、どっちですかね?」

 

焦るわたしの心を見透かしたように、沿道を飾る美しい花たちが、のんびりした穏やかな心を引き出してくれました。この風景を見れば、イライラする気持ちなど持てるはずありません。

 

記念館から出発して1時間10分、ようやく案内板が見えました。もうすぐのようです。

 

おお、いかにもな造り。旧宅です。以前巡った、同じく国学者だった本居宣長先生旧宅「鈴屋」を思い出しました。あの松阪の旅も心に残る大変面白い旅でした。いまだ魂が住まわれているのか、かなり強めの氣を感じます。

 

さらに、少し離れた場所に在る「塙保己一公園」と「墓所」です。

 

うわあ、強い!さすが墓所はこれまでになく強い氣を放っておられます。なにしろ盲目というハンデを背負って、学問を究め書籍を発刊する偉業を成し遂げた方だけに、内に秘める心の強さは尋常でなかったと推察します。その魂がこちらにあるのですから、その強さも納得できるというものです。他国の思想文化の真似ではない、わが国独自の思想文化を追求してきた学問・国学、その道を究めた賀茂真淵、本居宣長、田春満  平田胤篤、の所縁りの地をこれまで訪ねてきました。そしてついに最後の大人物を訪ねることができました。「もし、現代の群書類従を編纂したら、わたしの詩集、作品が選ばれるようがんばります!」と宣言してから、ぱん!ぱん! 記念館、旧宅、墓所を一括りにしてパワースポットとします。

パワースポット(1039)「塙保己一記念館・旧宅・墓所

 

裏手のいわくありげな場所に神社が見えました。

 

御由緒を読む限り、場所は近くても塙先生とは関係がないようです。

 

かなり強くきます。「後半戦も楽しめますように・・・できれば、迷うことなくつぎの骨皮田藤へ行けますように」ぱん!ぱん!

パワースポット(1040)「御霊稲荷神社」

 

さあ、骨皮田の藤へ向かいます。おそらく、あの山の方角にあるはず。かなり距離があることを覚悟して出発です。


沿道に咲く花々。そのレベルの高さに驚かされました。

 

まるで、町全体が花園、植物公園といった雰囲気。

 

日差しが花の鮮やかさを際立たせています。やっぱり旅は晴れの日に限りますな。

 

また、あちこちに小川や用水路が流れていて、水の町でもあるようです。カワセミを期待したものの姿は見られず。もっと時間をかければ、見つかりそうですが。

 

山がどんどん近づいてきました。ここでも、キジの鳴き声が聞こえてきます。八高線沿線には、あの美しい国鳥がいったい何羽棲んでいるのでしょうか。

 

ボロボロですが看板が見えました。「日本最大級の藤寺」だとか。思っていた以上に期待できそう。

 

長瀞秩父といえば埼玉県の二大秘境。正確な埼玉県地図が頭に入っているわけではないので、位置関係にピンとこず。帰ったら、改めて地理の勉強をしたいと思います。

 

うーん、残念ながら時間がない。気になりますが素通りし、つぎの機会ということで。

 

目印の「こだま千本桜」まで来ました。墓所を出発してから、1時間12分歩いているので少し休憩を。4月に来れば桜で鮮やかだったであろう光景に思いを馳せながら。

 

一息ついて再び歩き始めると、競進社近くに歩いていた団体とすれ違いました。この場所ですれ違うということは・・・さては同じく藤観賞に行ってたな。

 

ここから右に入るようです。

 

日本最大級を謳っているだけあって、すばらしい藤棚がお出迎えしてくれました。「あななたち、どこに居たの?」と聞きたいほど、道中では見られなかった大人数で賑わっています。

 

こっちをパシャ。

 

あっちもパシャ。

 

どこをどう切り取っても美しい藤の波。

 

これまでは、梅、桜、ツツジアジサイを中心に花巡りをやってきました。ここに藤もローテとして組込みましょう。

 

今回の旅で、すっかり藤の花に魅了されました。

 

この時点で、時刻は1時30分。駅に戻る時間を考慮すると、これから日本神社へ参拝した場合、他の駅を巡る時間はなくなります。しかし迷うことなく、日本神社まで足を伸ばすことにしました。この辺りの風景の美しさ、空気感がわたしの息にぴったり合い、せっかくなので、この旅はこの地で終えたいと思ったからです。小山川に架かる秋本橋を渡ります。

 

駐車場が見えてきました。

 

こちらから入るみたいです。三日間に渡るパワースポット巡り旅の、おそらく最後の地であり、他の駅を諦めてこちらを選んだだけに期待を込めて進みます。

 

周囲はこんな感じ。山の中腹に在るようです。

 

このような天気なので、汗が噴き出してきました。ふ^ふー。

 

最後の力を振り絞って、よいしょ、よいしょ。拝殿が見えてきました。

 

ドーン! 拝殿に到着しました。あー、疲れた。穏やかな氣が充満しています。「今年も楽しいゴールデンウィーク・パワースポット巡りの旅が出来ました。とくに、最後を締めくくる児玉駅周辺で印象深い旅が出来ました。ありがとうございました。」と頭を下げて、ぱん!ぱん!としました。

 

御由緒を読んでみます。初代の天皇神武天皇が祭られているようです。面白かったのは後半部分、「大正二年には村内の各社を石神神社へ合祀したが、当社はこれを拒否した模様で~」と書かれていた部分です。どうやら、近くに石神神社という対立する神社が在るようで、確か駅前の案内地図にも記されていました。せっかくなので、そこまで足を伸ばすのも面白いかと思いましたが、帰りの時間もありますので、また次の機会に巡ることにします。

パワースポット(1041)「日本神社」

 

日本神社を出発して、脇目も降らず児玉駅へ。それでも1時間10分かかりました。駅舎には、あの団体がすでに戻っていてくつろいでいます。どこをどう巡ってきたのか。なぜか勝手に親近感がわいてきて、勝手に同じ地を歩いてきた戦友のような感じを受けました。電車が到着すると、二両編成に全員が我先に乗込んだので、一瞬にして満席になってしまい、疲れていたのに座れず・・・。結局、親近感が憎悪に変わってしまいました(笑)

 

どうでしょうか?毎年、一生の思い出に残るゴールデンウィーク・パワースポット巡りの旅ですが、「今年は格別に楽しい思い出が作れた」と感じます。巡れなかった他の駅は、また別の機会に訪れようと思います。

 

<おわり>