パワースポット!
パワースポ ッター!!
パワースポッテスト!!!
より強いパワースポットを求めて全国を旅します!
パワースポットとは何か?
ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・等、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。
このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、精一杯生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。
そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます!
前橋、高崎市は犬猿の仲だと聞きます。明治13年(1889)に、時の知事による県庁移転に関する騙し討ち問題があって、それ以来、ゆうに100年を超える戦いが続いているのだとか。そのことを知って、ふと企画を思いつきました。100年戦争を煽るべく・・・じゃなかった、決着をつけるべく、両市のパワースポット神社を巡り「パワースポット対決」で勝敗を決めてみようと。妙案でしょう。これまで(900)を超えるパワースポット巡りをしてきましたが、このような企画は初めてになります。武道の試合と同じように、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5社を対決させて何勝何敗かで勝負を決めるこにします。ただし、一戦ごとにどちらが勝った負けたかについては書きません、さすがにそれは神様に失礼なので。最後の大将戦が終わった後に、どちらの市が勝ったかだけを書くことにします。乞うご期待です。
「令和6年(2024)ゴールデンウィーク 前橋VS高崎パワースポット対決の旅」日記もこれで最後になります。最後をしめくくるに相応しいパワースポットを紹介します。そこは、前橋駅から徒歩15分ほどの一角にあった「萩原朔太郎生家跡」です。朔太郎が前橋出身だとは知りませんでした。
その前に立つと、ふと思い出すことがありました。あれは私が幼稚園児だったころー。実家の裏に、お婆さんとその娘らしい女性の二人組が住んでいました(娘さんも、園児だったわたしから見れば十分なお婆さんでしたけれど)。はじめは、当時髪を伸ばしていたわたしを女の子だと見ていたようです。ところが、あるとき男の子だと気づいたようで、道ですれ違いざま「あなた、男の子だったんだねえ」と嬉しそうに、わたしの頭をものすごい勢いで撫でまわし始めました。力強くグイグイ、グイグイと。どこか狂気じみたものを感じ怖いと思ったほどでした。
あの日から月日が経ち、わたしももう大人になっていたときに、祖父からあの二人が萩原朔太郎の奥さんと娘さんだと聞かされました。とくに興味も感じられず、へーと思っただけでした。その日からまた月日が経ち、朔太郎の評伝を読みました。そこには、奥さんが跡取り息子を生めなかったためにお姑さんから、けっこう厳しく接しられていたことが書かれていました。そこで、ハッとなりました。ああ、そうだったんだと。男の子に対して他の女性とは違う、羨望と後悔の入り混じったような複雑な感情があったのだろう。それが子ども心に怖いと思わせた、ああいう行動に駆り立てたのだろうと・・・。
詳しいことは、わたしの第一詩集「こころえ」を読んでみてください。わたしの詩風とはまったく違うし、会ったことも無い大先輩ですが、少しながら縁のある方として「今後のわたしの詩作を、遠いところから、時には厳しい目で、でも基本的には優しさ大目で見守ってください」と頭を下げました。ここに来られただけで、この旅は大変有意義なものになりました。
通りが「朔太郎通り」と名付けられていました。この通り全体で強くキーンが感じられました。朔太郎の魂がこの通りを歩きながら、ああだこうだと詩作しているように思えてなりません。