パワースポット!
パワースポ ッター!!
パワースポッテスト!!!
より強いパワースポットを求めて全国を旅します!
パワースポットとは何か?
ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・等、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。
このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、精一杯生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。
そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます!
前橋、高崎市は犬猿の仲だと聞きます。明治13年(1889)に、時の知事による県庁移転に関する騙し討ち問題があって、それ以来、ゆうに100年を超える戦いが続いているのだとか。そのことを知って、ふと企画を思いつきました。100年戦争を煽るべく・・・じゃなかった、決着をつけるべく、両市のパワースポット神社を巡り「パワースポット対決」で勝敗を決めてみようと。妙案でしょう。これまで(900)を超えるパワースポット巡りをしてきましたが、このような企画は初めてになります。武道の試合と同じように、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5社を対決させて何勝何敗かで勝負を決めるこにします。ただし、一戦ごとにどちらが勝った負けたかについては書きません、さすがにそれは神様に失礼なので。最後の大将戦が終わった後に、どちらの市が勝ったかだけを書くことにします。乞うご期待です。
ピンポイントに、ここがパワースポットというわけではなく町全体が一つのパワースポットともいうべき「パワースポット都市」が存在します。青砥と高砂、岩槻がそうでした。高崎を巡ってみて、そのタイプの町がありましたので紹介します。
JR高崎線・新町駅に続いて、お隣の駅・倉賀野駅を紹介します。そもそもは、倉賀野神社目当てに寄った駅でした。そこだけ巡って帰ろう、ぐらいに考えていました。ところがです。駅舎に貼られた周辺図を見ると、江戸時代に宿場町・倉賀野宿として栄えた歴史があるようです。おお、パワースポット都市だった新町と同じ歴史を持つ町だーわたしにピンとくるものがありました。そこで予定を変更し、周辺図の気になる箇所を探索してみることにしました。
と、その前に。周辺図の右下に「山田かまちを生んだ街」と書かれていることを発見。山田かまち、なつかしい。昭和晩年から平成初期にかけて、アート系男子・女子に絶大な影響を与えた方でした。今の若者は知ってるのかな?
まずは南口から。少し歩いたところ、小学校の壁に写真付きで名所案内地図が掲げられていました。写真付きだとわかりやすくて、良いですね。
中山道に出ました。まずはこちらを巡らなければいけません。倉賀野宿の中心地「本陣」跡です。新町宿の本陣跡がそうだったように、こちらは微量ながらも「パワースポット特有のこめかみ辺にキーンとくる痛み」がきました。パワースポットになっています。
そして、少し離れた対面にある建築物が「脇本陣」です。本来ならば、本陣の予備に設けられた宿屋。しかし、今は立場が逆転し立派な建物が残されています。後世に建てられたものだと思いますけど。痛みもこちらの方がずっと強く、パワースポットとしても、今ではこちらに軍配が上がるかなと。
脇本陣の横にあるバス停。ベンチにかなり氣が溜まっていました。ここに座ってバスを待てば、氣の充電もできるという優れものです。
パワースポット「本陣跡」
お目当ての倉賀野神社がその先にありました。
詳細は5月9日の日記を読んでみてください。
パワースポット「倉賀野神社」
この辺り、SUBARUのディーラーが目につきます。群馬県が創業の地だからでしょうか。
新町に無くて、倉賀野に在るものなーんだ?・・・答えは古墳です。「浅間山古墳」に着きました。遠くからでも古墳とわかるわかりやすい形をしています。これまでの経験では、古墳はパワースポットの発信源として巨石と同じぐらい多いのです。当時のパワースポット鑑定士が土地の氣を調べて場所を選んだのか?もしくは埋葬された人から発せられる氣なのか?どちらなのでしょう。あるいは、他に理由があるのでしょうか?これからも調査していきたいと思います。
地図によれば、近くにもう一基「大鶴巻古墳」があるようです。しかし、しばらくうろついてみたけど発見できませんでした。時間もおしていますし、また次の機会ということで。
パワースポット「浅間山古墳」
南口はここまでにして、北口へ向かいます。駅舎の周辺図を見ると、巡ってみたいところは二か所。
ひたすら、てくてく、てくてく。南口と北口とでは町の様子がまるで違いますね。
歴史文化が色濃く残された南口とは違い、北口には交通量の多い幹線道路と住宅街と工場が並ぶ典型的な郊外の風景が広がっていました。
けっこう歩いてきました。♪コロコロ あちこちにカワラヒワがいてお出迎えしてくれました。
さあ一ヵ所目に着きました。「進雄神社」です。高崎の次鋒をつとめた古社にあらせられます。
こちらも詳細は5月9日の日記を読んでください。
パワースポット「進雄神社」
どんどん、どんどん。さらに北上して行きます。向かう先は、駅舎の周辺図でここを見つけたとき、今日の倉賀野パワースポット巡りの最終地点はここだ、ここしかない!と決めていたところー、春のセンバツ高校野球大会で初優勝した「高崎健康福祉大学高崎高等学校」です。これまでの経験で、高校野球強豪校の校舎がパワースポットだったことがありました。おそらく、ここもそうであろうと。しかも、初優勝した旬な高校であるなら、尚更そうだろう、と確信を持って決めました。さあ、実際のところはどうか?おおっ、やっぱりそうだった!かなり強い氣を放つパワースポットになっていました。やったー。
右端の欄に燦然と輝く「全国大会祝優勝 硬式野球部」の文字。神社じゃないけど、ありがたくて校舎に向かって、ぱん!ぱん!としました(笑)
パワースポット「高崎健康福祉大学高崎高等学校」
<令和6年(2024)ゴールデンウィーク 前橋 VS高崎パワースポット対決の旅⑨最終回へつづく>