天才詩人こうやまあきらのブログ!

パワースポット巡り100ヶ所、野球観戦100試合、日本酒100銘柄の年間トリプル100を目指して

負のパワースポット?小手指ヶ原古戦場 鎌倉攻めを巡る旅①

 

パワースポット! 

パワースポ ッター!!
パワースポッテスト!!!
より強いパワースポットを求めて全国を旅します!

  

パワースポットとは何か?
ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・等、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。
このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、精一杯生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。
そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます。

 

 

少し前にさかのぼりますが、15日のお盆休み最終日。たまには小説でも読んでみようと、それも昔の文豪が書いた硬いものを読んでみようと思い書店に入りました。そこで、おもむろに手にとってぱらっとめくってみたのが、国木田独歩の「武蔵野」でした。

その最初の頁で、目に飛び込んできたのが「小手指原、久米川の古戦場」という地名でした。小手指原といえば、13日に「北野天神社」で巡った土地。確かに、古戦場と書かれた案内があったような気がします。また、久米川という地名は、「所澤神明社」巡りのときに、所沢駅近くの駅に住んでいたと書きましたが、その駅こそ久米川駅なのです。そのような所縁のある地名が突然目の前に現れたので、これも何かの縁かもしれないと即購入しました。

ネットで検索してみると、「鎌倉幕府滅亡への道筋」は、「小手指ヶ原の戦い」→「久米川の戦い」→「分倍河原の戦い」→「関戸の戦い」と続いた先にあるようです。そのうち、分倍河原と関戸の合戦場跡は行ったことがあります。どちらも、歩いて行ける場所にあるし、他のパワースポット巡りでよく通る土地なので。

そこで、一連の合戦場を順番に巡ってみることを思いたちました。夏の最後の思い出作りにぴったりの、楽しそうな企画ではありませんか。

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その機会が早くも訪れました。翌週、「中氷川神社」巡りで、また「小手指駅」を訪れることになったのです。駅から大汗をかきながら40分以上かけて参拝した後、もと来た順路ではなく、途中、稲荷坂を左に曲がって古戦場へ。

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これまた大汗をかきながら到着しました。「埋蔵文化財調査センター」の裏手にドドーンとあるのかと思いきや、意外と小さくわかりずらい場所に、ちょこんとあります。多くの武士が死んでいった合戦場は、「こめかみ辺りに痛みがキーンとくる」パワースポットとは違い、重苦しく気味の悪いズキズキする痛みがくるもの。ここは、そうした痛みがあまりこないようです。あ、でも、あくまでも「あまりこない」であって、「まったくこない」という訳ではありませんので。それでも少しはホッとする気持ちがありました。変なのに乗り移られたくないですからね。

 

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なになに、 ふむふむ・・・。説明版を読み歴史のお勉強です。「元弘3年(1333)5月8日、上野国新田庄(群馬県太田市)を本拠地とする新田義貞が、北条氏が支配する鎌倉幕府を打倒すべく兵を挙げる」ほー。「最初は150騎程だったが、沿道の武士が加わり、11日に小手指原に着いたときには20万騎にも及んだ」へー。「小手指原で新田軍と幕府軍は30余回打ち合うが勝敗はつかず。新田軍は入間川(狭山市)へ、幕府軍は久米川(東村山市)へ引く」ふーん。「翌12日、新田軍が幕府軍側に押し寄せ・・・」おおっー!

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こうして、久米川の戦い~分倍河原の戦い~関戸の戦いへと続いていくのですね。順番に巡っていくのが楽しみです。

 

 

《つづく》