パワースポット!
パワースポ ッター!!
パワースポッテスト!!!
より強いパワースポットを求めて全国を旅します!
パワースポットとは何か?
ウェブを見れば、それこそ風水師、占い師、スピリチュアル・カウンセラー、パワースポット・マニア・・・等、さまざまな立場の方が独自の定義をもっておられるようです。
このわたしも定義をもっていて、その定義は「与えられた限りある命を、精一杯生きていく上で、そのエネルギーを充電できる場所」というもの。具体的には、「こめかみ辺りに、キーンという痛みがくる場所」を指します。この感覚はわたし独自のものであり、ほかに聞いたことがないのですが、その能力にはかなり自信をもっているのです。
そんな(自称)第一級パワースポット鑑定士が「年間100ヵ所」を目指してパワースポット巡りをおこないます。
都営新宿線・小川町駅で降りて、靖国通りを神保町駅方面へ歩いていました。途中、錦町で裏通りに入ってみると、突然「こめかみ辺りにキーンとくるパワースポット特有の痛み」がきました。パワースポットがあるようです。その出どころを探してきょろきょろしていると、目に入ったのがこちら。高層商業施設KANDA SQUARE内にある「電機学校発祥の地」という記念碑でした。読んでみると、1907年9月11日にここで電機学校が設立され、1949年4月に東京電機大学になり、2012年4月に千住へ 移っていったのだそうです。「100年の間、教育に携わってきた方たちの熱い教育者魂がまだここに残っている」そんな熱を帯びた一角になっていました。
これまで、教育関連のパワースポットをいくつか巡ってきました。どちらも、同じような性質をもったパワースポットでした。(旧ブログから下に貼っておきますので、参考にしてみてください)
パワースポット(798)「電機学校発祥の地」
この施設をぐるっと回って靖国通りに戻ろうとしたとき、またキーンとくる痛みを感じました。すると、そこにあったのがこちら。「豊川稲荷神社」です。ギュウギュウで苦しそうな社殿に、それを圧するように建っている神輿庫という何とも本末転倒な造りが目につきます(苦笑)。かなりキツめなキーンの性質が本山の豊川稲荷と同じなので、「祭っている神様が同じだとそうなるのか」と感慨深くなりました。
それにしても・・・。敷地内に2か所のパワースポットを抱えるこちらの高層施設もパワースポットに違いありません。コンビニやスーパー、レストランで買い物や飲食をしてみるのもいいかもしれませんね。
【旧ブログより】
パワースポット巡り(219)~(221) 燃えたぎる教育者魂たち 2015/02/07
かつて、塾教師をやっていたことがありました。転職先として塾という会社を選んだだけで、もともと教育者志望だったわけではありません。教育を情熱ではなく、仕事と割り切ってたんたんとやっていました。生活費を稼ぐ手段としか考えていませんでした。
ところが、そんなぼくでも、「生徒の成長する姿が見られるのなら、自分には何もいらない。どんな苦労もいとわない」などと思える瞬間がありました。それは、見返りを求めない無償の愛ともいえる境地でした。こんな思いが自分の中にあったのか、と驚いたほどでした。でも・・・残念ながら、そう思えるのは、ほんの一瞬だけ。年中、教え子に、無償の愛を注げることができる教師こそが「本物の教育者」なのでしょう。
そんな「本物」というべき教育者が、よく石碑やお墓になって祭られています。その前に立ってみると、強力なパワースポットになっていることがわかります。みなさん、身が朽ち果ててなお「燃えたぎる教育者魂」をビンビンに発しておられるようです。ここにお詣りしない手はありません。なにしろ、教えを請いに来る者を、無償の愛の境地で待っているのですから。生前のように、ありったけの情熱(パワー)を注いで教えてやろうと、うずうずしているのですから。
では、ぼくがよくお詣りしてパワーをいただく三ヶ所のパワースポットをご紹介しましょう。
パワースポット(219)「寺小屋 渡辺文吉の碑」
武蔵小金井駅で降りて、連雀通りをまっすぐ東小金井駅方面に歩いていました。すると、ふいにどこからか「キーンというパワースポット特有のこめかみ辺りにくる痛み」が漂ってきました。「あれっ!?近くにパワースポットがあるのか?」と思って、注意して歩いていると、マンションの狭い一角に石碑が建っていました。「寺小屋 渡辺文吉の碑」と書かれています。渡辺文吉という方が、どのような素性で、どのようなことを教えていたのか情報が少なくてよくわかりません。が、沸き立つパワーから感じるに、かなり立派な志をもたれた人格者だと思われます。今では、ここを通る度に手をあわせてお力添え(パワー)をいただいております。
パワースポット(220)「K大学構内にあるS総長のお墓」
かつて昭和の時代に、あまりにもバンカラすぎる校風で強烈な伝説を残してきた世田谷区のK大学。数々の伝説の中でも、とびきり強烈なのが、「S総長が白い軍服を着て白馬にまたがり、木銃を持たせた応援団員を引き連れて町を行進していた」という伝説です。かなり迷惑な方だったと思われますが、その教育に対する情熱は本物だと思われます。と言いますのも、大学構内にS総長のお墓があるのですが、そこから発せられるパワーの強さと濃さがハンパじゃないからです。偏った思想・・・過剰な態度・・・キツいですが間違いなく心の底には深い教育愛があったと思われます。
大学構内にあるので、一般の方が誰でも入れるわけではありませんが、もし、何か機会がありましたら、お参りして、パワーを浴びてみることをお勧めいたします。かなりキツ目のパワーですけどね。
パワースポット(221)「吉田松陰先生のお墓」
K大学から少し歩いたところに松陰神社があります。大河ドラマになったせいでか、久しぶりに行ってみたら、かなりの参拝客(観光客?)で賑わっていました。その奥まったところに、ひっそりとある吉田松陰のお墓にも、かなりの参拝客が詰めかけて騒がしくなっていました。騒がしくなって、神社側も浮かれたのか、これまでなかった賽銭箱をお墓の前に置いたりしていました(笑)
教育に関わる者ならば、誰もが憧れるのが吉田松陰なのです。ためしに、教育関係者のホームページやブログをのぞいてみてください。「平成の吉田松陰」「現代の松下村塾」を標榜する教育者がいかに多いことか。松陰と教え子の関係は、教育者が熱望する理想の師弟関係なのでしょう。松陰の志を受け継いだ教え子たちが、時代を斬り開き、国を造っていきました。教え子たちが国を造るーこれほど教育者冥利に尽きることはないでしょう。自分の教え子たちのそういった姿が見られるならば、死んでもかまわない、と考える教育者も多いことでしょう。
何か岐路で判断を迫られたとき、ぼくは松陰先生だったら、どっちの道に行くか?どう行動するか?を考えたりします。また、このお墓の前に来て、自分の決意を表明したりします。そういった意味で、ぼくもまた松陰先生の教え子だと思っています。ここは、偉大だった兄弟子たちのように、ぼくも時代を斬り開き、国造りに貢献できるようにガンバリます、と心に誓う大切な場所なのです。
パワースポット巡り(428)日本近代初等教育発祥の地 2017/04/26
2015年2月7日の日記を見てください。教育者の記念碑、お墓には、故人の教育者魂が宿るのか、かなり強烈なパワースポットであることが多いのです。東京タワー前の芝公園から、日比谷通りを渡ったところに「日本近代初等教育発祥の地」碑が建っていました。ここが第一小学校の跡地のようです。
今回の東京タワー巡り最後の場所にふさわしく、かなり強いキーンを放っていました。その強さの中に、教育者魂を感じさせる暖かさと父性がありました。何か壁に当ったときには、こちらに伺うといいでしょう。生前、高い志をもって生徒たちに教えを説いていたように、何かしらの教えを頂けるかもしれません。