天才詩人こうやまあきらのブログ!

パワースポット巡り100ヶ所、野球観戦100試合、日本酒100銘柄の年間トリプル100を目指して

2013年12月三連休 奈良「大和民族の物語」巡りの旅 【旧ブログより】

 

最近、「奈良」に旅していません。そろそろ禁断症状がでてくるかも(苦笑)

わたしのパワースポット巡り600ヶ所超で、最も思い出深い・・・奈良。

これまで縁の無い土地だったけど、ここで死ねたら本望だと思った・・・奈良。

わたしの人生に最も影響を与えたと言っても過言ではない心のふるさと・・・奈良。

奈良について書いた日記を、閉鎖中の旧ブログから引っ張ってきました。

 

お奈良してきます!  2013/12/20

明日から奈良へ行ってきます!この三連休は奈良で過ごします。この一年間で、もう三回目の奈良です。
ほら、下のスマホの画面を見てください。本来は東京の天気が表示されるところに、最近、奈良の天気が表示されるようになったんですよ。設定をいじったわけでもないのに。不思議です。ぼくの奈良への強い思いが伝わったんでしょうか~。

 

まずは大神神社へ  2013/12/23

三連休第一日目ー。
早朝の新幹線に乗り込み、けっこう早い時間に京都駅に到着しました。ところが、ここから面倒なことに。京都から奈良に直行する電車がけっこうないのです。信じられないことに、近鉄の特急で一時間に一本程度しかないのですよ。・・・むむむ、これは京都の陰謀でしょう。長男坊(奈良)が鈍くさいことをいいことに・・・あ、ちょっと言い過ぎた。お人好しなことをいいことに、計算高い次男坊(京都)がちゃっかり古都の名声と富を独占しようと、通せんぼしているのでしょう。しっかりしろよ〜、ぼくと同じ長男坊〜(苦笑)
という訳で、けっこう乗り継ぎで遠回りしながらも、まず真っ先に向かったのは大神神社です。やっぱり初日はここで奈良に来たご挨拶をしなければと思いまして。2時間かけてふーふー言って御神体である三輪山に登拝しました。きのう今日と降った雨雪によって、もう土がぬかるんでぐちゃぐちゃになっていました。悪戦苦闘しながらも頂上まで辿り着き、磐座様に「お久しぶりです。奈良の旅が無事に終わりますように。パンパン!」とさせていただきました。
三輪山は神聖な御神体であるが故に、草木はもちろんのこと、石や土さえも持ち帰ってはいけません」と、登拝前に神社の方から忠告されたのですが、靴の底に土がびっしり。こ〜んなに土を持ち帰ってしまいました。バチが当らなければいいのですけど。


下山後、いつものように「大美和の社」展望台で、おそらく日本一の絶景を見渡しながら、これからの日程のことを考えました。と言いますのも、奈良に行くにあたって、いくつか候補は上げていたのですが、実際にどこに行くかは決めかねていたからです。
しばらくこの絶景を見てると、ふいに、妙案が浮かびました。

 

「そうだ、ここから見える所へ順番に行こう!」と。


まず目についたのは、あそこー  

  

葛城山のあなたの空遠く、「幸」住むと人のいふ・・・」(by ブッセ)
二日目は一番遠くに連なって見える葛城山へ。

 
そしてつぎに、あれー

「あれが耳成山、あの光のが畝傍山・・・」(by 光太郎)

三日目は大和三山に登ることにしました。

 


葛城古道  2013/12/24

三連休第二日目ー。
葛城山へ行くために「御所駅」へと向かいました。御所と書いて「ごせ」と読むそうです。駅員さんに「『おんじょ』駅は何番線に乗ればいいんですか?」と聞いて、話が伝わらずイライラしてしまいました。確かに「おんじょ」じゃ、何処のことだかわかりませんよねー。
御所駅の観光案内所に寄ったら、葛城山の麓を散策する「葛城古道」というコースがあるようでした。地図を見ると、その所々に、古めかしいおそらくパワースポットと思われる神社があるようです。さらに、「このコースの最終地点」を見てびっくり仰天してしまいました。いやー、ほんとびっくりですよ。まさか、あんな「大層なもの」が、ここにあるとは・・・。
という訳で、今日は、「あの大層な最終地点」を目指して「葛城古道」パワースポット巡りをすることにしました。

 
いくつかの神社仏閣を通り、どう見ても他人んちの田圃の畦道を通ったりして不安になりながら歩いていくと、まず最初のパワースポットがありました。葛城一言主神社です。「どんな願いでも一つだけかなえてくれる」神様を祭っている有名な神社らしく、かなりの参拝者がつめかけていました。ぼくも、ある一つの秘密のお願いをさせていただきました。(ふふっ♥️)


「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンと痛みがくる」のは、この御神木と、


このあたり。亀石と車をお祓いするための駐車場あたりになります。このパワースポットで車をお祓いすれば事故は起きないでしょう~。

パワースポット(150)「葛城一言主(ひとことぬし)神社」


それからまた、しばらく歩いていくと、かなり強くくる場所がありました。お寺と神社が、ほぼ隣り合わせに並んでいて、どちらからも強くきます。ややお寺のほうが強く感じるのですが、ここに限らず何処でもそうですが、お寺って入りずらいんですよ。神社は「公共の場」だという雰囲気がありますが、お寺には、お坊さんの高級車が停められたりしていて「私邸」という雰囲気がありますので。実際、そうなんでしょうけど。ここもそんな雰囲気なので、入り口の門から覗くだけで後にしました。


パワースポット(151)(152)「龍正寺」「長柄神社」


お寺を後にしてから、その前の通りをまっすぐ歩いていると道中ずうっときていました。どうやら、「この通り自体がパワースポット」のようです。
・・・ああ、すると、やっぱりありました。以前にも書いたのですが、奈良でくる土地の上にはかなりの確率で「某巨大教団Tの建物」が建っているのです。どうみても、それは偶然ではなく、「あきらかにそのパワーを吸いとろうという意志のもと建てられている」のです。それが、ここにもありました。さすがですねえ~。

パワースポット(153)「龍正寺と長柄神社から葛上中学校までの通り」

 
いくつかの神社仏閣を参拝して、いよいよゴールまであとわずかの地点まできました。けわしい山道を抜けると、突然に目の前が開けて、背後の巨大な山とともに神社が目に飛び込んできました。「高天彦神社」です。その古さびた佇まいが、なにか異様な迫力を醸し出していて、思わず腰が引けそうになりました。背後の白雲嶽が御神体なんだそうです。


強くくるのは、「向かって左にある駐車場」、


そして、この「謎の足置き場」。なんの説明もないのですが、とりあえず足を乗っけて立ってみると、かなり強くきます。

パワースポット(154)「高天彦(たかまひこ)神社」


もうすぐ最終地点というところで、へとへとになっているぼくを励ますかのように野鳥が近寄ってきました。かわいいなあー。
< ♪チュッ、チュッ(がんばれ、がんばれ)


さあ、そして、そして!

最初の御所駅から歩くこと5時間ちょっと。ついに驚きの「コースの最終地点」までたどりつきました。びっくりしますよー、ほら、あそこ。あそこにあるのは・・・

 
ふははははーっ!古代の神々よ、現代の詩の神が会いにきたぞおおおーっ!

なーんと、あの古事記にでてくる「高天原」の跡地なのです。あの神話の舞台は、どうもここらしいのです。もー、びっくりでしょう。
じゃあ、古の神々がお暮らしになっていた聖地は、いまどうなっているのかと言うとー、


無料駐車場!


さらに、無料トイレ!


・・・(汗)ま、まあ、今はかなり変わり果ててしまいましたが、ぼくたち日本人はここから出発したのであり、ここが聖地であることには変わりはありません。ここがあってこそ、今のぼくたちがいるんですから。もっと、ここを世間に広めて、大事にしていきたいと思います。

パワースポット(155)「史跡 高天原(たかまがはら)」


5時間以上歩きっぱなしで、もう足ががくがく。さあ後は、帰りのバスに乗って御所駅まで帰るだけです。なんとかバス停にたどりついてみたら、バスの到着予定がこれっ、日に3本!

ええー!っと、これにはもうア然としていたら今の時刻は14時42分で、14時43分のがすぐに来て乗ることができました。ああー、よかった。なんて幸運なのでしょう。あ、これはもしかすると、今日お参りしてきた神様たちが助けてくれたのかもしれません。いや、きっとそうに違いありません。神様たち、ありがとうございました。という訳で、心の中であらためて神様たちに、ぱんぱん!しました。

 


葛城古道の風景  2013/12/25

金剛・生駒連合(葛城山が所属している暴走族の正式名称です)

 

となりの客はよく柿食う客だ法隆寺 (by子規)
この古道に限りませんが奈良には、多くの家庭の庭や、果樹園に柿が植えられております。この写真の柿にいたっては、(おそらく)野生の柿だと思われます。

 
やーまとの諸君 (byデスラー 
コースの途中に、奈良の町並みを一望できる高台がありました。やまと(奈良)の人々の暮らしぶりを見下ろしていたら、つい、あのデスラー総統の名セリフを口に出してしまいました。

 
奈良の空は、古代の空 (by天才詩人こうやまあきら)
奈良の空は、ほかでは見られない独特の表情を見せてくれます。
ぼくは、奈良の空はきっと古代の空だと思うのです。
卑弥呼が見上げていた空、
万葉の古人たちが見上げていた空、
いま、ぼくたちが同じ空を見上げているとしたら、
たいへん浪漫チックじゃありませんか。


 


天の香久山、耳成山  2013/12/26

三連休最終日ー。
最後の日は「大和三山」に向かいました。まずは「衣ほすてふ天の香久山」と謡われた「香久山」からです。日本人にとって、「富士山」と「香久山」どっちが神聖なのでしょうか?いずれにせよ、古代より聖なる存在として扱われてきた山です。きっとパワースポットに違いありません。

 
・・・しかし。山中は木がうっそうと茂り、陽はあるのに薄暗いほど。足場も伸びた草や落ち葉ですべり、あまり人の手が入っていない印象をうけました。道も細いのが何本もあって、それらが交錯するので案内板をよく見て歩かないと迷ってしまいます。山頂に小さな神社があったのですが、とくにパワーを感じるという程でもありませんでした。ちょっと残念。

 
でも、この聖なる山は「その周辺領域」がすごいパワースポットでした。隣接する「万葉の森」あたりや、

 
「香久山神社に入る鳥居」あたり、

 
この「登山口」、

 
「お地蔵さんが並んでいるところ」あたりで「パワースポット特有のこめかみ辺りにキーンとくる痛み」がきました。

 
そして、極めつけはここ、「天岩戸神社」です。なんと、ここにある岩こそが、アマテラス様が閉じこもってしまった天岩戸らしいのです。昨日は「高天原」で、今日は「天岩戸」・・・。偶然にも、今回の旅は神話でつながってます。未だにアマテラス様が岩に閉じこもっているという伝説もあるんだとか・・・。
「ふっふっふ。では、この天才詩人様が詩を朗読して笑わせて、この岩からアマテラス様をひっぱり出してやろうか。さあ、これから日本は明るい太陽の光につつまれるぞー!」・・・ただいま激しく妄想中(苦笑)

パワースポット(156)「香久山」

 
つぎに向かったのは「耳成山」です。三山の中ではちょっぴり地味目でしょうか。でも、そういうものなのですよ。三つで並び称されるものは、たいていどれか一つが地味目に映ってしまうものなのです。三大ロックバンドのザ・フー然り、三大腕時計ブランドのオーデマ・ピゲ然り、三大珍獣コビトカバ然り、あるいはキャンディーズのミキちゃんもそうかもしれません。しかし、だからと言って劣った存在だということではありません。ほら、みてください、ピチョンとしたかわいいお姿。三山の中で、もっとも容姿に恵まれたのが耳成山なのです。

(天の香久山から撮った耳成山

 
天の香久山から40分ほど歩いて、この案内板が見えたところまで来たら、急にきました。これは期待できそうです。

 
こちらは、登山口にある鳥居から頂上までの道が一本道。しかもきちんと整備されています。逆に味気ないかも。

 
一本道を登っていった頂上に、大変に風格のある神社がありました。「耳成山口神社」というそうです。とくに拝殿できます。(結論から先に言ってしまえば)三山の中で、この神社が一番強いパワーを発しているようでした。由緒を読んでみると、ここに祭られているのは日本の最高位の神様なんだとか。「高天原」より「天孫降臨」や「神武天皇の東征」を指揮した神様らしいのです。おおっ、これでまた神話でつながりましたねえ。ぱんぱん!っと。

パワースポット(157)「耳成山(みみなしやま)」

 
耳成山を降りてから、途中で昼食をとりました。それからは近鉄に乗って最後の山である畝傍山に向かいました。しかし、畝傍山に登る前に、その麓に巨大な神社があったのでお参りしてみました。
その後、ほんとに偶然にも、今回の奈良の旅が一つの物語でつながる奇跡的な出来事がありました。それはまた明日書きますので、よろしくお願いします。

(天の香久山から撮った畝傍山

 


橿原神宮畝傍山神武天皇御陵・・・民族の物語へ   2013/12/28

最終日の続きー。
近鉄橿原神宮前駅」に到着しました。畝傍山へ登るのは、橿原神宮にある登山口からがいいそうです。駅を降りて、すぐのところにある鳥居をくぐります。
境内はけっこう広くて、すがすがしい感じ。明治神宮に似ているかもしれません。なんでも、ここは、神武天皇が初代天皇に即位した跡地なんだとか。おおっ、耳成山では、神武天皇の東征の指揮をとっていた神様とお会いしましたが、次には神武天皇その方にお会いするとは。やっぱり何かにつながってます。


拝殿の奥のほうから、かなり強く感じました。さすがです。ぱんぱん!っと。

パワースポット(158)「橿原神宮(かしはらじんぐう)」

 
境内を抜けて登山口にきました。そこにあったのが、この「東大谷日女命神社(ひがしおおたにひめみことじんじゃ)」と「義民顕彰碑」です。ともに強くきます。「義民顕彰碑」のほうは、「不作で苦しむ農民たちのために、一揆をおこして処刑された惣治郎という方の功績をたたえるため」に建立されたそうです。むむ、男としてこうありたいですね。


畝傍山の登山道は、しっかり整備されているので歩きやすいし、これまでの二つの山よりも標高があるので、しっかり登山を楽しめます。三山の中で、最もレジャーとして楽しめる山だと思いました。


頂上からは、前日に行った葛城山が見えました。また行きたいなあ。


最後に、麓に「畝火山口(うねびやまぐち)神社」があるそうなので行ってみることにしました。境内には、強いという程ではないのですが、けっこう心地よくくるパワーを感じました。


とくにこのあたり。

パワースポット(159)「畝傍山(うねびやま)」

 
ここが、この三日間の奈良を巡る旅の最終地点ですので(この時点ではそう思ってました)、「三日間、楽しめました。ありがとうございました」と手をあわせてから、ぱんぱん!っとやりました。さあ、後は、もと来た道をもどって畝傍山橿原神宮橿原神宮前駅へと帰るだけです。

・・・ところが。初日の三輪山登拝、二日目の6時間に渡る葛城古道巡り、そして今日も三山を登って5時間ほぼ歩きっぱなし。体が疲労困憊しているようで、けっこうキツいのです。そのせいか、ここで痛恨のミスをやらかしてしまいました。畝傍山の登山道をもどっている途中で、別の道に入ってしまったようです。降り立ったところが橿原神宮ではなく、どこかの公園のような広場でした。(あ、あれ、ここどこ?)ちょっと焦りましたが、「畝傍山なんてしょせん小さな山、周囲を沿って歩いていけば、すぐに橿原神宮に着くだろう」と思いまして、広場を出て、山の周囲の沿道を歩きはじめました。

住宅街で地元の人たちの暮らしぶりを眺めたり、パワースポットと思われるお寺があったので、(時間がなさそうなので立ち入らずに)遠くから眺めたりと、最初は楽しんでいたのですが、なにしろ体のほうが・・・。足はパンパンに張るわ、膝がガクガクしてくるわ、微熱まででてきて、もう限界近くまで達してきました。さらに悪いことに、いつのまにか、さっきまで見えていた畝傍山の姿が消えて、どんどん遠ざかっていることに気がつきました。これにはかなり焦って、スマホを使って現在の位置を調べてみたのですが、いま一つわからないのです。どこでもバスが通っていて、タクシーが走っていて、地下鉄の乗り入れ口があって、案内地図が立っている便利な都会生活によって、自分がいる場所だとか、帰るべく方角とか、本来、備わっているはずの野生の勘が著しく鈍っているようなのです。一瞬、脳裏に「こんな住宅地で、遭難!?」の文字が浮かびました。「こんなところでは死ねない!」と最後の力を振り絞って、畝傍山が見える場所まで戻り、そこからまたゆっくりゆっくりと歩きはじめました。

かれこれ1時間近く歩いていて、というより彷徨っていて、ようやく一本の大通りに出ることができました。「もしや、ここを歩いていけば町や駅に出るかも」と藁をもすがる思いで歩いていたら、虚ろな目にこのようなものが飛び込んできました、

 
神武天皇御陵」!?

 
何かの力に導かれるかのように中へ。砂利道に、沿道の大木という光景は高尾の「武蔵野陵」と同じでした。最後の力を振り絞って進んでいきました。もう陽が落ちかけている夕方のせいか、ほかに参拝客がおらず、ザッザッザッという音だけが周囲に響いていきました。

 
そしてついに、神武天皇の眠るお墓の前に立ちました。そのとき、ものすごいパワーが飛んできました。この三日間で、どこよりも強いパワーがきました。

パワースポット(160)「神武天皇御陵」

  

・・・そして「大和民族の物語」へ


奇しくも、この奈良の旅は、「高天原」から始まって、「天岩戸」→「天孫降臨/東征」→「大和の建国」と続き、最後は「大和の建国者・神武天皇の死」で終わるという「大和民族の物語」で終わるという旅になりました。なにか、ぼくの心のなかにざわめく感情が立ち上がってきました。今まで忘れてきた、というよりかは押さえつけてきた、「自分の民族意識」といった熱い感情が立ち上がってきたのです。「大和民族よ、奈良に帰ろう!物語に帰ろう!」そんな呼びかけが、ぼくの心の奥底から聞こえてきたように感じました。
ーさらに、「新しい物語も必要なのでは?」という声も聞こえてきました。そして、すぐに、それが作れるのは「ぼくだけ」だという声が聞こえてきたのです。
今年最後になって、こんなすばらしい体験ができたことを感謝して、奈良でお会いした他の神様たちの分も併せて最後に大きく、ぱんぱん!っとさせていただきました。


神武天皇が東征をはじめたのが45のとき。今のぼくが45。
大和の国を建てたのが52のとき。
ぼくも52のときには、何か大きなものを打ち建てたいですね。

 

 《つづく》